第36話 100歳のカリンさん

文字数 792文字

 カリンさんはもうすぐ100歳。夜眠れないらしい。一睡もしていません、という申し送りが多い。
 部屋に行くと、私に訴える。
「泥棒が、みんな持っていっちゃったの」
「猫と、犬と、うさぎと馬まで来て、掛け布団をはがしたの。寒くて寒くて……」
 真剣に、私の目を見て涙まで流す。

 旦那様とふたり暮らしだった。ノミの夫婦。

 施設に働き始めてすぐに、カリンさんが入居してきた。うちのマンションの真下の1階の方だ。マンションでは滅多に顔を合わさなかった。挨拶をする程度だった。
 入居してきた時にすでに90歳は過ぎていた。旦那様ひとりでは面倒みきれなくなったのだろう。
 でも、この旦那様は毎日面会に来た。
 施設は近い。私の足で5分のところ。

 旦那様は毎朝、奥様の使わなくなった車椅子を押してやって来る。
 来るだけで疲れてしまうのだろう。奥様のベッドで横になる。奥様は施設の車椅子に座り、リビングにいる。すでに、旦那様だとは思っていない。
「かわいそうなおじいさんに、家を貸してるの」 
 家は4軒あるのだそう。息子は頭が良くて親孝行、だそう。
 おしゃべりだ。本当なのかどうなのか?
 旦那様は働き者だけど、女好き! とケロッと言った。
 ときどきは同じユニットの年下の男性を旦那様だと思い、部屋に入ろうとして怒鳴られる。
「バカやろー」と。
 負けてはいない。
「バカって言った方がバカなんだ」

 旦那様は自分が先に逝くわけにはいかない、と言ってたが、やがてコロナ禍で面会できなくなった。
 会えなくても平気なのか、奥様は?

 そのうち、ひとり暮らしの旦那さまの部屋に、ヘルパーさんが通うようになった。なんとそのヘルパーさんが、私が勤めていたブティックのお客様だった。

 そうして、旦那様は先に逝った。奥様には面会できないまま。
 奥様には知らされない。

 奥様は100歳になった。
 おめでとう。
 お祝いの賞状が部屋に飾ってある。
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