第87話 孤高の花

文字数 1,320文字

 年上のあの子は僕のことなど見やしない。
 あの子は真っ黒だけど血統書付きのアメショー。媚びず甘えず群れない孤高の女。
 名前はフィガロ。
 女の子なのに、フィガロ、フィガロ、フィガロ〜。
 モーツァルトから付けたのではない。ディズニーに出てくる、落ち着きのない猫に、小さい頃は似ていたと言う。

 でも大人になると、高慢ちきで、あとから来た僕のことなど歯牙にもかけない。
 僕は近寄ることもできない。遠くから(狭い家だけど)見ているだけだ。
 ご主人さまがコーヒーを飲むとき、容器に残ったミルクをくれる。1杯目は彼女に。彼女は品よくかわいく舐める。
 2杯目は僕の番だ。僕は音を立てベロベロ舐める。物足りない。もっと欲しいよ。

 彼女は日のあたる部屋の真ん中でおなかを見せて寝転んでいる。僕も隣で寝たいけど、そんなことはできない。僕はソファに横になり彼女を見ている。

 ときどき、娘さんがトイプードルを連れてくる。この犬は去勢されていないから、うるさいんだ。小さくて弱いくせに、孤高の彼女を追いかける。彼女は明らかに嫌な顔をして相手にしない。なのにバカ犬は彼女の上に乗ろうとする。
 僕は頭突きをしてやる。あいつは大嫌いだ。ソファに乗ってこようとしても、頭突きをして乗せてやるものか。
 早く帰れ。

 しかし、彼女との楽しい生活は長くは続かなかった。美しい女は短命なのだ。ある日、彼女は病院から冷たくなって戻った。
 娘さんは泣いていた。
「テディ、フィガロが死んじゃったよ」

 死んだ、死んだ、あの子が死んでしまった。いきなりいなくなってしまった。小さなキレイな容器に入ってしまった。僕はもう、タンスの上の写真にしか会えない。

 そんな、そんな、悲しいこと。僕も死んでしまいたい。
 彼女は死ぬときも見事だった。朝、いつものようにミルクを舐め、ご主人様が掃除機をかけていたとき様子がおかしくなり、ご主人様は慌てて病院に連れて行った。

 いい子だね、偉いね。お金もかけず、面倒もかけずに……
 フィガロ、フィガロ、とご主人様は手を合わす。

 比べて僕は長患い。
 病気になって、検査だ、薬だ、遠くの大きな病院だ、とご主人様に迷惑をかけてばかり。ご主人様は僕のために、高い冬虫夏草やユウグレナまで取り寄せ飲ませてくれた。
 僕は薬のために大食いになり体重も増え、(ヨーキーなのに笑われるほどでかいのに)散歩に連れて行ってもらってもフラフラで、重いのに抱っこされて帰ってくる。おまけにしょっちゅう粗相するから、オムツだ。
 まだ若いのに。
 もう、こんなんなら、早くあの子のところへ行きたいのに。
 早く死んで、キレイな容器に入れられてあの子の隣に置いてほしいのに。
 
 もう、意識も朦朧だ。痛みはない。ご主人様がモルヒネをもらって飲ませてくれる。高いのに。
 先生が言う。頭の中はお花畑……と。

 この家に来る前は、僕はほとんどひとりだった。夜中の新聞屋のバイクに怯え、地震が来ると震えていた。
 縁があってこの家に貰われてきた。優しいご主人様と素敵な猫。
 僕は嬉しかった。幸せだった。

 ああ、本当だ。病気で立てないはずなのに、僕は大きな声でありがとうが言える。最後に起き上がってご主人様の膝の上に……
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