第92話 竹田の子守歌

文字数 2,164文字

 潤子、といえば「赤い鳥」の山本潤子さん。

「赤い鳥」といえば『翼をください』
 しかし、『翼をください』は『竹田の子守唄』のB面曲だったのです。(1971年2月5日)

『翼をください』は、1976年以後、音楽教科書にもたびたび掲載されている。合唱曲として有名となり、日本国内では老若男女誰もが歌える愛唱歌。
 FIFAワールドカップフランス大会予選のUAE戦(1997年10月26日開催)からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われるようになった。
 1998年の長野オリンピックでは山本潤子版が、2021年の2020年東京オリンピック開会式ではスーザン・ボイルの英語詞版が流れた。
 2007年には「日本の歌百選」に選出された。

赤い鳥 翼をください 1971年
https://youtu.be/t9PDg7Rg_Zw?si=GsknlqdCl6PkwdMH


スーザン・ボイル 翼をください
https://youtu.be/LYdmOT4p0LY?si=NdCZ_ArR21IvK4rH


 グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとった。各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループだった。
 結成当時は後藤と平山の二人が日本民謡を独自のやり方で取り上げたデュエットだった。
 山本と新居(潤子)は、谷村新司らと結成したコーラスグループ「ヒルビリー・シンガーズ」のメンバーであったが、アマチュアコンサートで一緒になったとき後藤に音楽性を買われて赤い鳥に加入した。いったん加入した松田が脱退したのち大川が参加し、ここに5人編成の「赤い鳥」が再編された。
 
 1969年11月、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに関西・四国地区代表として出場。「竹田の子守唄」と「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑えてグランプリを獲得した。

 このコンテストにはオフコース、チューリップも出場しており、財津和夫はオフコースに、小田和正は赤い鳥にそれぞれ「負けた」と思ったという。

 1971年1月から1972年6月まで、竹田一彦カルテットがバックバンドとして協力。1971年2月発売のシングル『竹田の子守唄/翼をください』が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。

 音楽上の路線対立から1974年9月に解散。後藤・平山夫妻は「紙ふうせん」、山本・潤子夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」を結成した。


『竹田の子守唄』は被差別部落に伝わる子供の労働歌であり、題名に「子守唄」とあるが正しくは「守り子唄」であり、子供を寝かしつけるのではなく、部落出身で子守として奉公に出され、学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われている。

 1964年12月東京芸術座が公演した『橋のない川』で、音楽を手がけた尾上和彦が、被差別部落の京都市伏見区竹田地区にある部落解放同盟の合唱団「はだしの子」メンバーのひとりから、教えてもらった民謡を編曲して使ったものである。
 尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったため『竹田の子守唄』とされたが、それ以前は題名が付いていなかった。
 きちんとした楽譜もなく、1番と2番でテンポも違った唄は、子守り奉公で苦労する中にも強く暖かい人間性を内在させ、『赤いサラファン』に共通する部分も感じられ、聞かせてもらった女性の唄を尾上が解体してつくったのが今日に知られる旋律である。
 唄の後半に『ロンドンデリーの歌』のような、非常に豊かな音の広がりも加えた4分の2拍子で書き上げた。

 それが合唱団のレパートリーとなったことで、当時のフォークソングの歌手たちにも広まり、その一人が後の赤い鳥の後藤悦治郎であった。
 後藤は、関西フォークの定例コンサート「大阪労音例会」で、大塚孝彦と高田恭子のデュエットが歌唱しているのを聴き、本作を初めて知って感銘を受ける。
 後藤はフーツエミールというグループのリーダーだったが、レパートリーが英語の歌ばかりなことに不満を抱いており「赤い鳥」を新結成するに至る。「赤い鳥」の結成時は持ち歌が他に『カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー』しかなかったが、後藤は本作の練習には力を入れるほど心から惚れ込み、デビュー作としてシングルレコードを発売、結成7か月後の1969年11月の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで本作を歌唱してグランプリを飾った。

 フォークシンガーたちに広まる前に歌唱していた合唱団「麦」では、唄が被差別部落のものであると紹介していたが、フォーク界に広まるにつれて「竹田」の正しい読み方や唄の出所はわからなくなっていった。「赤い鳥」も当初は唄の由来や意味も理解しておらず、題名の地名も大分県竹田市のことだと思っていた。

 しかし、歌詞と被差別部落との関係が取り沙汰されるようになると、放送自粛の動きが広まり、「放送で流されることのない歌としてはもっとも有名なヒット曲の一つ」となった。
( Wikipediaより)

竹田の子守唄 赤い鳥 1969
https://youtu.be/XGwJDYXfB1Q?si=R2kGssMQSz8cFs8i



【お題】 潤子
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