第81話 老後の心配はないから

文字数 1,326文字

 父が亡くなり、高校を中退して働いた。
 数度の転職ののち結婚して、某会社に入った。

 頑張った。朝早く出社した。妻には満員電車が嫌だと言って。

 頑張って課長にまでなった。やがてその会社は上場し妻は喜んだ。
 その頃にはもう大卒しか募集しなくなっていた。

 景気のいい時代、家も買い海外旅行もした。

 会社が早期退職者を募ったとき、一晩考えて決断した。55歳だ。

 妻は驚いたろうが反対しなかった。数年の給料の何割かと退職金……老後に不安はない。

 夫婦の役割は逆転した。妻が働き私は家事をした。苦ではない。

 6歳下の妻は楽天的だ。
 以前、乳がんの疑いあり、と診断されたときも
「なるようにしかならないわ〜」
 
 暗くなったのは私のほうだった。がんではなかったが。先に逝かれては困る。

 いい時代を生きてきた。
 妻が働いていたのは景気のいい会社。
 子どもができなかったので、生活にはゆとりがあった。
 妻も数社転職したが、行く先々でいい思いをしたようだ。忘年会は有名な店、ピアノでカラオケ、タクシー券をもらって帰ってきた。
 おしゃれで、高い服に化粧品を買う。文句はない。家事もしっかりやり、老後の資金も貯めている。
 
 
 引き取っていた義父はやがて認知症になった。私は義父とは長い間、話もしなかった。

 なぜそうなってしまったのか?
 初めて妻の家に行き、酒を注がれた時には手が震えたものだ。元気なときは旅行もした。私の母が生きていたときは、よく食事に誘ってくれた。銀座でフグをご馳走してくれた。

 しかし、義母が亡くなってからは酒浸り。仕事も失い、後始末は妻と義妹がした。ひとりにはしておけずに引取りはしたが……

 午前と午後ヘルパーに来てもらい、週に2度デイケアに通わせた。すべて、忙しい妻と義妹が手続きをした。時間のあり余る私はなにもしなくてすんだ。ただ家にいるだけだ。


 義父の介護は長かった。妻との間が険悪になったこともある。妻は仕事を辞めると言い出した。平日は私が義父といるのだ。直接介護はしなくてもヘルパーの出入りさえ煩わしい。ときどき、ただよってくるにおいが我慢できない。

 義妹がデイケアの送り迎えに来た。私はただいるだけで、着替えさえ手伝わない。なにもしないくせに、義妹の出入りさえ煩わしい。

 ある日、ヘルパーに下の世話を手伝わされた。ひとりでできないから押さえてくれという。初めて義父の身体に触った。匂いが我慢できず、私はヘルパーにではなく、妻に文句を言った。

 やがて妻と義妹は施設を探した。なにもしないくせに私は限界だったのだ。費用は義父の年金では足りず義妹と負担しているようだった。

 施設に入ると2年で義父は逝った。病院から家に連れてくることはなく、そのまま斎場の霊安室に置いてもらった。
 通夜の日も、私と妻は泊まらず帰ってきた。義妹夫婦は残った。私たちが残るべきだったろうに。

 もう、私たち夫婦も高齢だ。互いに持病がある。
 兄も姉も亡くなった。
 長患いせず、ボケずに逝きたいものだ。
 充分だと思っていたが、民間の施設にふたりで入るには足りないようだ。

 こんな私だが姪たちはなぜか懐いてくれた。父の日と誕生日にはプレゼントを持ってきてくれる。子どもたちを連れて。
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