第75話 ご老体

文字数 1,117文字

 8年前、14年勤めていたブティックが倒産した。もう年齢も年齢だし、働く気はなかったが就職活動をしなければ失業手当はいただけない。
 毎月ハローワークに行き、パソコンで求人を探した。しかし、働いたとしてもすぐに定年。係の人も、「ないですよねー」と簡単だった。

 就活の記録を書く。募集広告を見て一応電話する。年齢を言うと断られる。
 新聞に入ってきた募集のチラシ。すぐ近くに建てている介護施設。開設までに半年あった。週3日、朝7時から10時までの3時間。資格なしでも、配膳等の手伝い……洗濯、掃除。
 家から近いのが魅力だった。時間が短いのも。夫が出勤後に出ればいい。小遣い稼ぎにでもなれば。軽い気持ちで面接に行った。

 受かった。半年後のことだから……いやならすぐにやめればいい、と安易に考えていた。続くとは思わなかった。
 ハローワークの方も喜んでくれた。歳だから、2か月延長分の手当もいただいた。支払われなかった給与の保証も、ずっと遅れたがいただいた。

 やがて介護施設がオープンした。
 オープンしたての頃は入居者よりもスタッフの方が多かった。配膳もシーツ交換も3、4人で。しかし、どんどん入居者が増えるとスタッフは分散された。その後はずっと人手不足だ。配膳はひとりで。隣のユニットにも手伝いに行かねばならない。
 職員が排泄介助の間、私は見守り。当時はまだ元気な方がいた。廊下に出て行ってしまう。車椅子から立ち上がってしまう。ひとりで見守るのは大変だった。

 介護現場は過酷だ。じきに私は勤務時間を増やした。施設では資格がなくても身体介護ができる。私は周辺業務から介護職になった。
 当時私が排泄介助、入浴介助していたのは立位が取れる人たちだった。その方たちもやがて進行しリフト浴に。亡くなった方も少なくない。

 8年が過ぎた。時給はほんの少しだが上がった。
 14年勤めていたブティックは1度も昇給しなかった。賞与がほんの少し出たのは最初の夏だけだった。
 今の仕事は、施設からユニフォームが貸与される。なにより服を買わなくてすむ。

 去年腰痛で2ヶ月休んだ。もう、復帰は無理かな、と思ったが、周辺業務に戻り、たった2時間だが働いている。
 働かせていただいている。まだ役に立っている。日頃愚痴ばかり言っているが、感謝せねば。

 あと10年くらいは、今のまま仕事ができたなら。
 もう、歳は取らない。決めた。あと10年は体力維持。脳年齢も投稿とナンプレとロジックで維持(できるか?)

 来年は(もう今年だけど)区民プールも無料のパスポートを作ったし、がんばろう。

 昔ならおばあさんだけど、まだまだ若い。
 わが肉体に感謝。
 今年もありがとうございました。
 

 
 
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