第52話 イスラエルとワーグナー

文字数 2,556文字

 ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(1813年5月22日 - 1883年2月13日)は、19世紀のドイツの作曲家、指揮者、思想家。
 別名 楽劇王 
 職業 作曲家、指揮者
 活動期間 1832年 - 1883年

 ロマン派オペラの頂点であり、また楽劇の創始者であることから「楽劇王」の別名で知られる。ほとんどの自作歌劇で台本を単独執筆し、理論家、文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした中心的文化人のひとりでもある。

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、19世紀ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーが作曲した楽劇。
 物語は、人間と芸術の価値を輝かしく肯定するとともに、天才が得た霊感を形式の枠の中で鍛え上げる必要性を説いた寓話にもなっている。
 その豊かで鋭い洞察と暖かな人間性によって、本作品は幅広い人気を保っている一方、当時のワーグナーの思想である「ドイツ精神」の復興とともに反ユダヤ主義が織り込まれており、底に潜む暗い部分として疑問が投げかけられてもいる。

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『マイスタージンガー』は冒頭部分が浮かびます。でもワーグナーはあまり聴かなかった。
 英国ドラマ『主任警部モース』で、よくかかっていたような。
 検索してみると、ユダヤ批判にヒトラー!

 ワーグナーには熱狂的なファンが多数存在する。彼らのワーグナーへの傾倒ぶりは、信仰に近いものがあるという。ワーグナーを聴くためにバイロイト祝祭劇場に行くことを、しばしば「バイロイト詣で」と呼ぶのがひとつの証左である。 
 ワグネリアンという言葉がネガティブな意味合いを持つに至った理由のひとつに、ワーグナーの反ユダヤ主義がある。
 ワーグナー自身の反ユダヤ主義的傾向は生前から知られており、さらにはアドルフ・ヒトラーがワグネリアンを自称したため、ワーグナー作品はナチスのプロパガンダに大いに利用されることとなった。
 例えばナチスのニュルンベルク党大会では『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲や『リエンツィ』序曲などのワーグナー作品が演奏され、ナチスの宣伝トーキー映画にはワーグナーの曲が多く使用されていた。

 このような経緯のため、イスラエルでは建国以来長らくワーグナー作品の演奏や鑑賞がタブー視されてきた。ワグネリアンの中にはワーグナーとヒトラーの関係を認める者もいるが、あくまでワーグナーとヒトラーは無関係であり、ワーグナーの音楽自体は政治的意図を孕まない純粋な芸術だと主張する者も多く存在する。

 このように、ワーグナー自身に対する評価としては、ワーグナーの人間的欠陥と作品の良否は別と考える者、人間的欠陥故に数々の作品を生み出したと考える者など、ワグネリアンにおいても数々の解釈があり、その一筋縄で理解しがたい点がワーグナーの魅力でもあり、イスラエルでのワーグナーの再考と議論は芸術の限界や可能性を表している。

 現在でもイスラエルではワーグナーの楽曲がタブー視されており、公に演奏されることは許されない。しかし、1981年、ズービン・メータが
「民主主義国家イスラエルではすべての音楽が演奏されるべきではないでしょうか」
と演説し、聞きたくない観客には辞退してもらい、『トリスタンとイゾルデ』の1曲をアンコールで演奏した。

 ユダヤ系指揮者ダニエル・バレンボイムは2001年イスラエル音楽祭でベルリン国立歌劇場を指揮して『トリスタンとイゾルデ』序曲を演奏し、騒ぎとなった。
 イスラエル国営ラジオの音楽部長Avi Chananiはワーグナーのイスラエルにおける演奏を擁護したが、演奏すべきではないという意見も多々あった。
 その後バレンボイムは、ワーグナーがヒトラーのお気に入りの作曲家だったからといって、ワーグナーにホロコーストの責任を押し付けるのは間違っている、とイスラエルを批判した。
 ドイツではワーグナーの「音楽」を賞賛することは許されても、ワーグナーの反ユダヤ思想を賞賛することはユダヤ人差別として非難の対象となる。

 ワーグナーは指揮者としても高名で、『指揮について』などの著作もあり、指揮に対する独自の理論を打ち立て、多くの指揮者を育成した。同じく独自の音楽理論を打ち立て、多くの弟子を養成したブラームスとは激しく対立し、近代以降の指揮理論の二大源流になった。

 世紀末ウィーンの音楽界では、保守的であったブラームス派はバッハ、ベートーヴェンなどのドイツ伝統音楽を模範として、ワーグナー派はブルックナーやリストなど「未来の音楽」を標榜する進歩派であった……

【人物】
・夜中に作曲しているときには周囲の迷惑も考えずメロディーを歌ったりする反面、自らが寝るときは昼寝でも周りがうるさくすることを許さなかった。

・常軌を逸した浪費癖の持ち主で、若い頃から贅沢をして支援者から多額の借金をしながら踏み倒したり、専用列車を仕立てたり、当時の高所得者の年収5年分に当たる額を1ヶ月で使い果たしたこともあった。リガからパリへの移住も、借金を踏み倒した夜逃げ同然の逃亡だった。

・過剰なほどの自信家で、
「自分は音楽史上まれに見る天才で、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ」
と公言して憚らなかった。
 とはいえリストやウェーバーなど、彼が敬意を払っていた作曲家は少なくなかったようだが。
 このような態度は多くの信奉者を生むと同時に敵や反対者も生む結果となった。

・哲学者フリードリヒ・ニーチェとの親交があり、ニーチェによるワーグナー評論は何篇かあるが、中でも第1作『悲劇の誕生』はワーグナーが重要なテーマとなっていることで有名である。しかしのちに両者は決別する。

・ブラームスとそりが合わず、犬猿の仲だった。1870年にウィーンで催されたベートーヴェンの生誕100年セレモニーに講演者として招待を受けて快諾したが、土壇場で出席者リストにブラームスの名を見つけて出席を拒否した。

・動物好きで犬とオウムを飼っており、動物実験に反対する投書を寄稿したこともある。
(Wikipediaより引用)

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