第80話 なにに使うの?

文字数 957文字

 結婚して半年は夫のアパートに住んでいた。3畳と6畳と小さなキッチンのウナギの寝床。風呂なし、エアコンなし、玄関もなし、洗濯機は廊下。
 子どもができて、思いきってマンションを買った。結婚式も親の援助はなかった。貯金は底をつき、毎月のローンが重い。

 夫は田舎の両親に、当分は帰らないで頑張るから……なんて結婚式のあと言っていた。働き者だ。
 ところが、立て続けに義母も義父も亡くなった。まだ車もなかったから田舎に帰る交通費だけでも大変だった。
 わずかばかりの蓄えをおろしにいくと、帰りは背中が寒くなった。

 落ち着いた頃、夫は機械で指を切った。ほんの少しだが切り落とした。
「指、切っちゃったよ」
と、笑いながら妻に言った。
 指先だから痛みは半端ではなかったろう。妻は甲斐甲斐しく介抱した。体と頭も洗ってあげた……はず。記憶にないが。 
 痛みを紛らわすために、面白いビデオを借りてきてあげた。確か、バック・トゥー・ザ・フューチャー。妻は観ていたが、忙しい夫は見る暇がなかったのだ。

 1週間ほど休み復帰した。戻ればまた残業の毎日。
 少しして、銀行から電話が来た。
 出たのは妻なのに、相手は、夫名義の通帳に金が振り込まれたことを、教えた。思ってもないこと。定期にする予定はないか? とか聞かれたのだろうが。

 
 労災から金が振り込まれたのだ。
 手続きしたのだろう。
 妻には内緒か? それともサプライズ?
 怒りが湧いてきた。しかし、抑えた。知らん顔。
 常々、小遣いが足りない、とは言っていた。しかたない。でも、世間並みだと思う。昼食代は給料から引かれているし、使うのは酒代と床屋代……
 しかし、付き合いもあるのだろう。
 言い出すまで、知らん顔しよう。言い出さなければ……
 痛い思いをしたのだ。だまされてあげよう。バカな使い方はしないだろう。
 悔しいが。

 それからまた少しして、夫は打ち明けた。
「田舎の墓立てるから」

 妻はなにも言えなかった。

 妹たちには夫が金を出したことは内緒。
 立派な墓石が立った。

 しかし、両親が亡くなった実家に帰ることは少なくなった。
 去年久々に行ったら、きれいに掃除してあった。
 まだ墓のない老夫婦……
 私たちはどうするの?
 散骨にしようとか、ゴミに捨ててもいいよ、とか冗談を言う。


【お題】 だまされてあげる
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