第78話 おかあちゃん

文字数 1,095文字

 中学1年の夏休みに引っ越しした。それまではよく母の買い物について行った。

 母は、平屋の小さな家の隣の、物置みたいな小屋の中でケトバシという機械を踏んでいた。金属の部品を足で踏んで加工する機械。
 学校から帰ればすぐに母のところに行った。ラジオがかかっていた。
 冬はストーブをつけているので、餅を焼いてその日の学校の話をした。
 母はガチャン、ガチャン、と足で踏む。1度やらせてもらったが、力が弱くてうまくできなかった。

 でき上がったものを届ける。私は自転車の荷台に積んだものを押さえながらついて行った。まだ無条件に母を好きだった時代。1日で800円になった、と覚えている。

 夕方になると買い物に行った。商店街の肉屋、魚屋、乾物屋は活気があった。
 天ぷら、フライは、揚げたものを買っていた。 
 おかあちゃん、今思うと手抜きだったね。

 八百屋でみかんを買う。当時は1キロいくらだったのだろうか? 2、3種類あり、いつも1番安いものを、それを2キロ買っていた。たぶん20個くらい。紙袋に入れてくれる。それを買い物かごに入れる。
 私は母の右側に、母の腕に自分の腕を絡ませて歩いた。なぜ、持ってあげなかったのだろう? 持ってあげたときもあったのかな?

 ときどきは少し大きな箱に入っているチョコレートを買ってくれた。100円しなかったけど、宝物をもらうより嬉しかった。

 中学になり引っ越しをすると、母は近くの会社にパートに行くようになり、学校から帰ってもいなかった。もう、誰もいないのが嬉しい年頃。
 毎日のように図書館で本を2冊借りてきて読んだ。
 炬燵に入り山に積んであるみかんを食べた。
 よく怒られた。
 すぐなくなる。重いのに……と。
 あの頃は、1度に5、6個食べていた。今思うとよく食べられたと思う。
 母は文句を言ったが、1日に2個まで、とか制限はしなかった。食べ過ぎると手が黄色くなると言われ、よく手を見ていた。
 下痢もしなかったし。

 父は田舎から出てきて靴職人になった。大量生産の時代になると景気が悪くなり、母は苦労した。
 私が高校の時、父は転職した。
 足の不自由な人の靴を作る。
 その会社に入り、ようやく余裕ができたようだ。

 両親は銀婚式から3年続けて旅行していた。北海道、山陽、四国。
 出発の日は姉と駅まで見送り、ふたりで小遣いを渡した。3泊くらいの旅行。思い出になったろう。土産を山ほど買ってきた。
 3年続けて行ったあとに母は亡くなった。
 私が二十歳の年、成人式の振袖も着ることができなかった。

 もう、母の歳をずいぶん超えたけど、まだ北海道も四国も行ってない。


【お題】 みかんは1日2つまで
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