第51話 ウサギで思い出したこと

文字数 917文字

 子どもが幼稚園のとき、ウサギを扱っている仕事をしているお宅があった。
 直接話したことはないが、人から聞いた話では、実験用のウサギらしい。
 その人は、実験の内容を教えてくれた。


 以前、『材料集め』で食べられるために、殺されるために生まれてくる豚の話を書いたが、人間は、都合の悪いことは忘れてしまうようだ。

 私は「固い」とか文句を言いながら肉を食べているし、目に染みるシャンプーは買わない。
 そういえば、以前はシャンプーすると、目が赤くなったものだが、最近はそれはない。

 ウサギたちのおかげ……か?

 私たちは何気なく髪や体を洗ったり、薬を飲んだりしているが、そんな生活は多くの命の犠牲の上に成立しているのだ。

 米国では年間1億匹以上の哺乳類が犠牲になっている。しかもそのうち4450万匹が痛みを伴う実験の末、殺されている。

 もちろんすべては「安全性」のためだ。事故が起きたら取り返しのつかないことになる。だが、本当にそれらの動物実験は必要なものなのか、倫理的に許されるものなのか。消費者や研究者たちからも疑問の声が上がり始めている。

「ドレイズテスト」は別名「眼刺激性試験」とも呼ばれ、試験物質を強制的に点眼し、目にどのような反応があるかを見るものだ。

 化粧品やシャンプーが目に入ると、痛いものだが、その影響を測るための試験が、ウサギを使って行われているのだ。

 ウサギの眼は涙腺が発達しておらず、涙で薬が流れないため、観察しやすいのだ。

 当然ながら、痛い。だが固定されたままのウサギは目をこすることもできず、試験が続く3日のあいだ苦しみ続ける。中には、暴れまわって首の骨を折ってしまうウサギもいる。

 そして、試験が終わり、苦しみから解放されるのは、すなわち死を迎える時だ。試験を終えたウサギたちは殺処分、解剖され、実験動物としての短い生涯を終える。

 このような動物実験の存在が普段、われわれの意識に上ることはあまりない。試験を行っている企業や研究所はその現実を隠したがるし、メディアも動物が苦しんでいる様子を積極的に報じることはほとんどないからだ。

 酷で、実験を行う側の心理的ストレスも大きいという。


(講談社ホームページを参考にしました)
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