第96話 百万本のバラ

文字数 1,794文字

 今日Yahooニュースで見出しを見てびっくり。 (2024.3.30)
 以前拙作『お気に入りの曲』で取り上げた歌手だから。

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 ロシア最高検察庁は、日本語でカバーされた「百万本のバラ」などのヒット曲で知られる国民的歌手アーラ・プガチョワさん (74)をスパイを意味する「外国の代理人」に指定するよう法務省に要請した。ロシア通信が29日伝えた。プガチョワさんはウクライナ侵攻に反対の立場を公言している。

 プガチョワさんは2022年9月、夫のテレビ司会者マクシム・ガルキンさん (47)が外国の代理人に指定されたことに抗議し、連帯のため自分も指定するよう訴えた。ガルキンさんは侵攻を批判し、政府系テレビの番組を降板した。

 プガチョワさんはリベラルな言動で知られる。「百万本のバラ」はカバーした加藤登紀子さんの代表曲でもある。

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「百万本のバラ」は、ラトビアの歌謡曲
『Dāvāja Māriņa』 (マーラが与えた人生)
を原曲とするロシア語の歌謡曲。
 もともとの歌詞は、画家や薔薇とはまったく関係ない。

 ラトビアは、小国ゆえに歴史的に近隣のスウェーデン、ポーランド、ロシア、ドイツなどによって絶えず侵略・蹂躙されてきた。
 独立への思いを抱きながらも、多くの時間においてそれを成すことができなかった。
 詩人ブリディスは、そんなラトビアの悲劇の歴史を「幸せをあげ忘れた」と表現し、これにパウルスが旧ソ連時代の1981年に曲を付け、女性歌手アイヤ・クレレがラトビア語で叙情豊かに歌ったのが最初だった。


 子守唄のように優しく歌いながら、実はそこには民族の自尊心とソ連への抵抗への思いが込められていたのだという。

 しかし、当時支配者だったロシア人は、原語のそんな意味も分からず、魅力的なメロディーだけを歌い継ぐこととなった。
 ボズネンスキーという男が作詞したロシア語の歌詞では、なぜかグルジア出身の放浪の画家ニコ・ピロスマニを題材とした“悲恋”が描かれ、それをロシアの人気女性歌手アーラ・プガチョワが唄って大ヒットさせたのだ。


 日本語でも歌われる「百万本のバラ」などのヒット曲で知られるロシアの国民的女性歌手アーラ・プガチョワさんは、ウクライナ侵攻を批判した夫が、ロシア政府からスパイを意味する「外国のエージェント (代理人)」に指定されたため、
「夫への連帯として、私も指定してほしい」
と訴える声明を発表し、侵攻を批判した。
 プガチョワさんは、侵攻を続けるプーチン政権に反対の立場を明確にした。
 プガチョワさんは2009年、60歳の誕生日に当時のメドベージェフ大統領から「祖国功労勲章」を授与されている。

 ラトビアは、1918年11月に独立を宣言したものの1920年まで内戦状態が続き、1940年には独ソ密約により旧ソ連の領土となった。
 そして、1941年から1945年までナチス・ドイツの占領を経て、再びソ連領となる。
 その間、1940年から1949年にかけて約8万にも及ぶラトビア人がシベリアに流刑され、また多くの国民が難民として国外に亡命した。
 この結果、1939年にはおよそ73%いたラトビア民族は、1989年には52%にまで減少した。
 
 この詩は大国の犠牲となった悲しみの象徴。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」
 エストニアでは、ナチの占領期間に1万というユダヤ人が殺され、ラトビアでは約8万5千のユダヤ人が殺されている。
 バルトの神話、女神マーラは、ユダヤ人には生も幸も授けず、迫害と死を与えた……
 1982年に、「マーラが与えた人生」は、ロシアのアラ・ブガチョワの持ち歌「百万本のバラ」にかわった。
 放浪の画家ピロスマニが女優マルガリータのホテルの前を花で埋め尽くしたという伝説をもとに詩を創作した。

 原曲の詩のまま、ロシアで訳すわけにはいかなかったのだ……


1988年有線音楽賞 百万本のバラ : 加藤登紀子
https://youtu.be/wOq-gV8dNPw

Dāvāja Māriņa (マーラが与えた人生)
https://youtu.be/0uuGafmr5vE

百万本のバラ アーラ・ブガチョワ
https://youtu.be/dPZdC792zo0

https://ameblo.jp/merrymorrow/entry-12365695938.html
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