第18話 親を看取る

文字数 1,142文字

 調べてみたら、1985年はバブルの始まりの年だ。
 新婚の若夫婦ではない、貧困のバカ夫婦の私たちには関係なかった。
 1985年といってもピンとこないが、昭和60年なら、なにがあった年なのか思い出せる。
 
 長男が3歳。長女が1歳前の正月休みに、秋田の夫の実家へ行った。
 結婚して、しばらくは田舎には帰らないで頑張るつもりだった。両親にも言ってあった。
 まだ薄給の、車も貯金もない頃、交通費だけでも大変だったのだ。

 私の父の田舎も秋田だった。  
 私が初めて田舎の祖母に会ったのは、中学2年の夏だった。ようやく余裕のできた父が、東北の家族旅行を計画して実行した。
 父や夫にとって故郷は遠かったのだ。

 ところが結婚して、子供が産まれ、手伝いに来てくれた義母が翌年亡くなった。まだ50代。
 続いて義父に癌が見つかり、私たちは毎年田舎に帰ることになった。
 
 冬の寒さは違う。布団を蹴飛ばして寝る子らが、微動だにもせず眠っていた。毛布はダブルで倍の長さを二つに折る。
 寝静まった頃に長女が夜泣き。家中に聞こえるほどの大泣き。皆を起こしては大変、とおんぶして外へ。
 雪の中を行ったり来たりした。
 戻ると義父が居間のストーブをつけていてくれた。大腸癌で余命宣告されている。
 子供が5人、孫が当時6人。若い頃は出稼ぎに。
 苦労して、ようやく楽になったら、妻に先立たれ、後を追うように亡くなっていった。
 夫に似ず、穏やかな方だった。夫は祖父に似たらしい。よく、暴れたそうだ。

 そして、1周忌に3回忌……毎年の、子供を連れての帰郷は大変だった。金銭的にも大変だった。銀行に金を下ろしに行くたびに背中が寒くなった。

 しかし今、私の友人や知人は親の介護や病気で大変だ。
 自分たちも体力の衰えを感じる年だ。
 どんなに立派で好きだった親も弱り、認知症になる。同居していなくても、兄弟や嫁との関わり合いもうまくいくとは限らない。
 友人は、高齢の母親に会いに行くと、弟嫁に言われた。
「おねえさん、もう来ないでください」
 実家には泊まれなくなった。
 認知症にならないように、大人の塗り絵を送っていたが、どうしただろう?

 施設のスタッフは、兄夫婦が、母親と同居していた。親の面倒はみなくてすむはずだったが……まず、おにいさんのお嫁さんが認知症になった。70代。
 施設に入れたら、おかあさんが認知症に。
 施設に入れたら、今度はおにいさんが病気で手術、半身不随。
 退院する前にお嫁さんが亡くなった。
 それからおにいさんも施設に入り、おかあさんが先日亡くなった。
 誰もいなくなった家を片付けている。若くはない。

 皆、高齢だ。もう、誰が先に逝くかなんてわからない。
 もう、誰が誰? なんてわからない。
 そうなる前に、私は逝きたい。
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