第20話 飛び込みたい
文字数 3,216文字
音楽のエッセイでダイナ・ショアを調べていて興味をもちました。
ダイナ・ショア(1916年2月29日 - 1994年2月24日)は、アメリカ合衆国の歌手、女優。
クラブシンガーとしてスタートし、後に映画やテレビにも進出、「ザ・ダイナ・ショアショー」という自分の名を冠した番組まで持つに至り、アメリカのエンターテイメント界の最高峰にまで上り詰めた。
ダイナ・ショア名言
人を愛せるかどうかで、若くいられるかどうかが決まるのよ。
ダイナ・ショアは、女子プロゴルフの発展にも貢献し、1994年に世界ゴルフ殿堂入りをしている。
1972年、ダイナ・ショアの企画により、歯磨きメーカーであるコルゲート社とのタイアップによるトーナメント「コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル」が発足した。
1983年に全米女子メジャーに昇格する。その後スポンサーの変更等により、トーナメント名も変更されたが「ダイナ・ショア」の名前は彼女の死(1994年2月)の後も1999年まで残された。
第1回からカリフォルニア州ランチョ・ミラージュの「ミッションヒルズ・カントリークラブ」を会場としており、毎年3月下旬に行われ、4月第1日曜日に最終日を設定している。
そのシーズンのメジャーの初戦として熱戦を繰り広げている。しかし同週にオーガスタ・ナショナル女子アマチュアが開催されることなどから、2023年大会からテキサス州ヒューストン近郊のゴルフ場で開催、かつ時期も4月中旬頃に変更された。これは放映権を持つNBCの意向だという。
ミッションヒルズ時代では優勝者は18番ホールのグリーン脇にある池に飛び込む通称『ポピーポンド』が恒例となっていた。
1988年、エイミー・オルコットが同大会2度目の優勝の際に飛び込んだのが最初とされる
1991年にはオルコットが3度目の優勝を果たし、大会ホステスであるダイナ・ショアと一緒に飛び込んだ
1992年、ドッティー・モクリーはプレイオフを制して優勝したが、これが10番ホールだったので飛び込めなかった。
1994年、ドナ・アンドリュースが、大会直前に亡くなったダイナ・ショアを偲んでジャンプを行って以来、これが伝統となる。
この大会の優勝者にはチャンピオンローブとダイナ・ショア・トロフィーが授与される。
飛び込んだのはポンド(池)と呼ばれてはいるが、整備されたプールだ。幅は約18m。 コンクリートによって護岸されていて、中央部分の深さは5.5フィート(約167センチ)ある。
この中の水は衛生管理がしっかりされているので、飛び込んだときに口に入っても大丈夫。
だから、大胆にダイブ!
テレビ放送でも、優勝者がいつ池にダイブするかと待ち構えている様子が中継され、この大会のハイライトシーンのひとつでもある。
宮里藍は、初出場した05年、A・ソレンスタムが3度目の優勝を飾り、池に飛び込んだのを見て、「悔しさがこみ上げた」と語った。
L・オチョアが優勝した08年は、メキシコから楽団が呼ばれ、親族10数名と一緒にダイブ。
11年のS・ルイスは飛び込んだ途端、母が足を負傷するアクシデントもあった。
2022年からはメインスポンサーがシェブロンとなり、2023年以降の開催コースはテキサス州ヒューストンの「ザ・クラブ・アット・カールトン・ウッズ」に移った。
「ザ・クラブ・アット・カールトン・ウッズ」は、2001年開場のジャック・二クラス設計のシグネチャーコースと2005年開場のトム・ファジオ設計のチャンピオンシップコースの各18ホール全36ホールを有している。
半世紀にわたってカリフォルニアにあるミッションヒルズCCで行われていた大会は、舞台をテキサス州ヒューストンエリアに移した。
勝者が18番グリーン脇の池に飛び込むのが風物詩。毎年同じコースで開催される唯一のメジャーだけに『女子版マスターズ』と呼ばれたが、名物の勝者ダイブは、もう見ることができない?
大会のタイトルスポンサーがANAからシェブロンに変わって1年目の22年大会までは、従来通りミッションヒルズで開催されたものの、23年大会からは試合会場がテキサスへ移されると発表されたとき、ネリー・コルダをはじめとする多くの選手たちは一斉に嘆きの声を上げた。
「あの大会は『私たちのマスターズ』だった。誰もが『プロになったら、あそこで勝ちたい』『あの池にダイブしたい』と目指してきた」
毎年、同じコースで開催されるメジャー大会という意味では、男子のマスターズと同じであり、マスターズのキャディーが白いつなぎのユニフォームを着用するのと同様、この大会のキャディーも白いジャンプスーツに身を包み、女子選手たちを支えてきた。
優勝に輝いた選手がキャディーとともに池に飛び込む場面は、男子のマスターズチャンピオンがグリーンジャケットを羽織るのと同様、メジャーチャンピオンの誕生を祝う儀式だと、選手も関係者もファンも認識していた。
その儀式まで消滅してしまうことは、あまりにもさびしい。まるで、おなじみの大会がその大会ではなくなってしまうような、そんな喪失感を覚えていたのは、選手もキャディーもファンも、みな同じだった。
23年に変更になった、カールトンウッズの18番グリーン脇にも池が広がっている。しかし、その池は、これまで人間が飛び込むことなど、まったく想定されていない池だった。
そこで、大会とクラブ側はダイバーを潜らせて池の底の状態を調べ、岩や石が飛び出していないかどうかをチェックした。
ワニやヘビが生息している池でもあるため、優勝者が飛び込むエリアにワニが近寄れないよう、水中にネットを張り巡らせて安全性を高めた。
「しかし、ヘビまではネットでは防ぎ切れない」
25歳の米国人選手、リリア・ヴの優勝で幕を閉じた米女子ゴルフのシーズン最初のメジャー大会、シェブロン選手権。
この大会で注目されていたのは2023年最初の女子メジャーチャンピオンが誰になるのかということはもとより、勝者が移転した会場でも池に飛び込むのかということだった。
サドンデス・プレーオフ1ホール目でバーディーを奪い、勝利を挙げたヴは、キャディーや両親とハグを交わした後、感極まって18番グリーン上にしゃがみ込んでしまった。
グランドスタンドの大観衆からは
「ジャンプ! ジャンプ!」
の声が上がったが、それでもヴに池に飛び込む様子は見られなかった。
TV中継のインタビュアーが彼女にマイクを向け、短い質疑応答を交わした後。
「さあ、池に飛び込みますか?」と尋ねると、リリア・ヴは「もちろんです」と即答した。
インタビュアーから
「ジャンプ台のところから、飛び込んでくださいね」
と促されると、ヴはソックスとシューズを脱ぎ、トレーナーと手をつなぎ、ジャンプ台から思い切ってダイブ!
相棒キャディーは華麗なポーズを取りながら、ダイナミックなダイブを披露。かくして、ウイニング・ダイブの儀式は、途絶えることなく引き継がれた。
とはいえ、池の状態が大きく改善されない限り、ヘビ出現の脅威は残るため、来年以降も飛び込むかどうかは優勝者の判断次第ということになる。それゆえ、この儀式が途絶える可能性は、いまなお残されてしまっている。
しかしながら、歴史や伝統というものは、未来永劫、必ずしも不変である必要はないのかもしれない。
https://golfenjoylife.com/chevron-championship-winners/
https://my-golfdigest.jp/tournament/p67675/
https://gridge.info/article/progolfer/detail.php?id=12284
https://egolf.jp/tournews/90605/2/
ダイナ・ショア(1916年2月29日 - 1994年2月24日)は、アメリカ合衆国の歌手、女優。
クラブシンガーとしてスタートし、後に映画やテレビにも進出、「ザ・ダイナ・ショアショー」という自分の名を冠した番組まで持つに至り、アメリカのエンターテイメント界の最高峰にまで上り詰めた。
ダイナ・ショア名言
人を愛せるかどうかで、若くいられるかどうかが決まるのよ。
ダイナ・ショアは、女子プロゴルフの発展にも貢献し、1994年に世界ゴルフ殿堂入りをしている。
1972年、ダイナ・ショアの企画により、歯磨きメーカーであるコルゲート社とのタイアップによるトーナメント「コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル」が発足した。
1983年に全米女子メジャーに昇格する。その後スポンサーの変更等により、トーナメント名も変更されたが「ダイナ・ショア」の名前は彼女の死(1994年2月)の後も1999年まで残された。
第1回からカリフォルニア州ランチョ・ミラージュの「ミッションヒルズ・カントリークラブ」を会場としており、毎年3月下旬に行われ、4月第1日曜日に最終日を設定している。
そのシーズンのメジャーの初戦として熱戦を繰り広げている。しかし同週にオーガスタ・ナショナル女子アマチュアが開催されることなどから、2023年大会からテキサス州ヒューストン近郊のゴルフ場で開催、かつ時期も4月中旬頃に変更された。これは放映権を持つNBCの意向だという。
ミッションヒルズ時代では優勝者は18番ホールのグリーン脇にある池に飛び込む通称『ポピーポンド』が恒例となっていた。
1988年、エイミー・オルコットが同大会2度目の優勝の際に飛び込んだのが最初とされる
1991年にはオルコットが3度目の優勝を果たし、大会ホステスであるダイナ・ショアと一緒に飛び込んだ
1992年、ドッティー・モクリーはプレイオフを制して優勝したが、これが10番ホールだったので飛び込めなかった。
1994年、ドナ・アンドリュースが、大会直前に亡くなったダイナ・ショアを偲んでジャンプを行って以来、これが伝統となる。
この大会の優勝者にはチャンピオンローブとダイナ・ショア・トロフィーが授与される。
飛び込んだのはポンド(池)と呼ばれてはいるが、整備されたプールだ。幅は約18m。 コンクリートによって護岸されていて、中央部分の深さは5.5フィート(約167センチ)ある。
この中の水は衛生管理がしっかりされているので、飛び込んだときに口に入っても大丈夫。
だから、大胆にダイブ!
テレビ放送でも、優勝者がいつ池にダイブするかと待ち構えている様子が中継され、この大会のハイライトシーンのひとつでもある。
宮里藍は、初出場した05年、A・ソレンスタムが3度目の優勝を飾り、池に飛び込んだのを見て、「悔しさがこみ上げた」と語った。
L・オチョアが優勝した08年は、メキシコから楽団が呼ばれ、親族10数名と一緒にダイブ。
11年のS・ルイスは飛び込んだ途端、母が足を負傷するアクシデントもあった。
2022年からはメインスポンサーがシェブロンとなり、2023年以降の開催コースはテキサス州ヒューストンの「ザ・クラブ・アット・カールトン・ウッズ」に移った。
「ザ・クラブ・アット・カールトン・ウッズ」は、2001年開場のジャック・二クラス設計のシグネチャーコースと2005年開場のトム・ファジオ設計のチャンピオンシップコースの各18ホール全36ホールを有している。
半世紀にわたってカリフォルニアにあるミッションヒルズCCで行われていた大会は、舞台をテキサス州ヒューストンエリアに移した。
勝者が18番グリーン脇の池に飛び込むのが風物詩。毎年同じコースで開催される唯一のメジャーだけに『女子版マスターズ』と呼ばれたが、名物の勝者ダイブは、もう見ることができない?
大会のタイトルスポンサーがANAからシェブロンに変わって1年目の22年大会までは、従来通りミッションヒルズで開催されたものの、23年大会からは試合会場がテキサスへ移されると発表されたとき、ネリー・コルダをはじめとする多くの選手たちは一斉に嘆きの声を上げた。
「あの大会は『私たちのマスターズ』だった。誰もが『プロになったら、あそこで勝ちたい』『あの池にダイブしたい』と目指してきた」
毎年、同じコースで開催されるメジャー大会という意味では、男子のマスターズと同じであり、マスターズのキャディーが白いつなぎのユニフォームを着用するのと同様、この大会のキャディーも白いジャンプスーツに身を包み、女子選手たちを支えてきた。
優勝に輝いた選手がキャディーとともに池に飛び込む場面は、男子のマスターズチャンピオンがグリーンジャケットを羽織るのと同様、メジャーチャンピオンの誕生を祝う儀式だと、選手も関係者もファンも認識していた。
その儀式まで消滅してしまうことは、あまりにもさびしい。まるで、おなじみの大会がその大会ではなくなってしまうような、そんな喪失感を覚えていたのは、選手もキャディーもファンも、みな同じだった。
23年に変更になった、カールトンウッズの18番グリーン脇にも池が広がっている。しかし、その池は、これまで人間が飛び込むことなど、まったく想定されていない池だった。
そこで、大会とクラブ側はダイバーを潜らせて池の底の状態を調べ、岩や石が飛び出していないかどうかをチェックした。
ワニやヘビが生息している池でもあるため、優勝者が飛び込むエリアにワニが近寄れないよう、水中にネットを張り巡らせて安全性を高めた。
「しかし、ヘビまではネットでは防ぎ切れない」
25歳の米国人選手、リリア・ヴの優勝で幕を閉じた米女子ゴルフのシーズン最初のメジャー大会、シェブロン選手権。
この大会で注目されていたのは2023年最初の女子メジャーチャンピオンが誰になるのかということはもとより、勝者が移転した会場でも池に飛び込むのかということだった。
サドンデス・プレーオフ1ホール目でバーディーを奪い、勝利を挙げたヴは、キャディーや両親とハグを交わした後、感極まって18番グリーン上にしゃがみ込んでしまった。
グランドスタンドの大観衆からは
「ジャンプ! ジャンプ!」
の声が上がったが、それでもヴに池に飛び込む様子は見られなかった。
TV中継のインタビュアーが彼女にマイクを向け、短い質疑応答を交わした後。
「さあ、池に飛び込みますか?」と尋ねると、リリア・ヴは「もちろんです」と即答した。
インタビュアーから
「ジャンプ台のところから、飛び込んでくださいね」
と促されると、ヴはソックスとシューズを脱ぎ、トレーナーと手をつなぎ、ジャンプ台から思い切ってダイブ!
相棒キャディーは華麗なポーズを取りながら、ダイナミックなダイブを披露。かくして、ウイニング・ダイブの儀式は、途絶えることなく引き継がれた。
とはいえ、池の状態が大きく改善されない限り、ヘビ出現の脅威は残るため、来年以降も飛び込むかどうかは優勝者の判断次第ということになる。それゆえ、この儀式が途絶える可能性は、いまなお残されてしまっている。
しかしながら、歴史や伝統というものは、未来永劫、必ずしも不変である必要はないのかもしれない。
https://golfenjoylife.com/chevron-championship-winners/
https://my-golfdigest.jp/tournament/p67675/
https://gridge.info/article/progolfer/detail.php?id=12284
https://egolf.jp/tournews/90605/2/
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