第6話 ジェフ・ベック死す
文字数 3,352文字
世界3大ギタリストのひとり、ジェフ・ベックが亡くなった。78歳。細菌性髄膜炎。
ちょうどチャットノベルで調べて投稿したばかり。
ギタリストにとっての憧れであり、神様的存在の3人の名はエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ。
3人とも60年代中期にヤードバーズというバンドに在籍していた。
なぜ、ヤードバーズを知っているかというと、私の好きなデヴィッド・ヘミングスが出演している映画『欲望』(1966年)の中で演奏していたのだ。これはファンには有名らしい。
ガムを噛みながら演奏していた若きジェフ・ベックが調子の悪い機材に怒ってギターを叩きつける……
ところが、ヤードバーズは、この3人のギタリストを輩出したにもかかわらず、たいした商業的成功はおさめなかった。
彼らがその後独自の活動をしていなければ、3人は3大ギタリストなどというカリスマ的存在にはなりえなかったのである。
ヤードバーズ時代から3人に共通していたのは、ブルースだった。
ブルースは黒人のものであったが、白人もブルースにとりつかれて白人なりのブルースをはじめる。
そして、3人はそれぞれの道を歩き出す。
エリック・クラプトンはクリームというバンドを結成、ジェフ・ベックはジェフ・ベック・グループを、そしてジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンを結成する。
彼らがこの新しいバンドでやってみせたのはブルースを主体とした、とてつもなくパワフルで劇的なロックだった。ハードロックと呼ばれるジャンルの土台を作ったのである。
そして、70年代はハードロックの黄金時代を迎えることになる。
なぜ、この3人のギタリストがハードな方向へ向かったのかは、若くして逝ってしまった天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリクスの影響が大きい。
ジミ・ヘンは黒人であった。パワフルでソウルフルな音を放っていた。ジミ・ヘンはギターを「弾いた」のではなく、ギターで叫び、歌い、あえぎ、泣いた。
どれだけテクニックがあろうと、黒人のブルース・フィーリングを会得していても、ギター奏者本人の感情が吐露されていなければ、本物のギタリストとは言えない。
この3人はテクニックの上にその感情の吐露にいち早く気づき、ギターに歌わせ、喋らせ、あえがせ、泣かせることができた人たちなのではなかろうか。
ジミヘンの登場以降、彼ら3人が模索し、加工した、新しいギター主体のロック(ハード・ロック)の、重いリズムと「泣きのギター」は、当時のベトナム戦争や学生運動の敗北などといった、ヘヴィーな社会情勢と、抑圧された若者たちの内にこもったエネルギーを見事に晴らしたのだった。
ジェフ・ベックは、エリック・クラプトンと共に天才ギタリストとして60年代半ばから活躍しながら、性格やギターに対する姿勢はまったく違っていた。"神様"と呼ばれながらも、常にフレンドリーで誰よりも人間的であったクラプトンに対し、ベックは性格も利己主義で自分勝手、非情だとまで言われ、どこか近寄りがたい存在であった。ギター奏法においても、かなり独創的でトリッキーなことから、後継者になるようなプレイヤーも現れず、いつしか「孤高のギタリスト」と呼ばれるようになっていた。
68年になると、ソロ時代のバック・メンバーを中心に、ジェフ・ベック・グループを結成。そのメンバーの中には、ロッド・スチュワート(vo)、ロン・ウッド(b)、エインズレー・ダンバー(ds)、ニッキー・ホプキンス(key)らがいた。
このバンドはベックのわがまま(音楽的なもの)で、メンバーをコロコロ代えつつ2枚のアルバムを残し、69年のウッドストック・フェスティバル出演間際に突然解散した。
75年、付いて来るメンバーがいなくなったのか、はたまた付いて来られるメンバーが見つからなかったのか、ベックはついにソロとなり、全面インストゥルメンタル(=インスト。唄なし)のアルバム「ギター殺人者の凱旋(Blow By Blow)」をリリースした。今ではロック・ギタリストのインスト・アルバムなど珍しくもないが、当時はまだ前例があまり無く、かなり衝撃的なものだった。内容的にも、ジャズ寄りのミュージシャンを従え、ロックとジャズの融合を図った斬新なものだった。
このベック初のソロ・アルバムは全米4位の大ヒットを記録。インストのアルバムがこれほどのセールスを記録するのはたいへん珍しい。この大ヒットで、それまで3大ギタリストの中では、1番地味な存在であったベックも、一挙にクラプトンやジミー・ペイジと肩を並べるほどの存在となった。
また、このアルバムの成功は、ロック界のみならずジャズ界へもかなりの影響を及ぼし、あっという間にクロスオーヴァー・サウンドは一大ムーブメントを巻き起こす。そして、ついには「フュージョン」という1ジャンルとして独立してゆくまでに発展する。
かのエアロスミスがビッグになり、ライブでベック時代のヤードバーズの曲「トレン・ケプト・ア・ローリン」を演奏したとき、ベックが急遽ゲストでステージに上がるや、ジョー・ペリーは感動で涙を流しながらその場に立ちつくした。
ハリウッド・ヴァンパイアーズのシンガー/ギタリストとしても活躍する俳優のジョニー・デップとタッグを組んだ ”ジェフ・ベック・アンド・ジョニー・デップ” 名義によるスタジオアルバムもある。
両者の付き合いは長い。
ジェフ・ベックの私生活に関する情報は少ない。妻がいたことも亡くなってから知った。
もともとはピアノを習っていた。
少年時代はロカビリーに夢中だった。
ジミー・ペイジとは古い仲だが、彼を引き合わせたのはジェフのお姉さん。
子供はいないはず。
菜食主義者である。
ミック・テイラー脱退後、ローリング・ストーンスのメンバーに誘われたことがある。
ドラッグには手を出していない様子。アルコールや女性関係などの、スキャンダルらしいスキャンダルもない。
改造車(ホッドロッド)が好き。車いじりが好き。
古城に住んでいる。
その古城でCharとセッションしたことがある。Charがそろそろ帰るといったら、もっとプレイしたいと拗ねたらしい。
2000年暮れの来日時、久米宏がジェフにインタビューしたことがある。でもジェフのファンの間では不評(You Tubeで見られます)。
アコースティックやガットギターの腕前はない。歌唱力もなく(歌っていますが)作詞・作曲の才能もない。つまり、エレキ・ギター『しか』弾けない(これは最大級の褒め言葉ですのであしからず)。
商売道具であるギターの扱いは雑。ある年の名古屋公演ではプレイが終わった後、近くにいたスタッフにギターを放り投げて渡していた。
好きなギタリストはジミ・ヘンドリクスやジョン・マクラフリンなどなど。
イギリス人だがサッカーには興味がないらしい。
『欲望』『ツインズ』ではギタリストとして映画出演しているが、『法王さまご用心』では、ロケの見学に行った時に郵便夫役で出演する事になった。
ロックミュージシャンの死亡年齢は、普通人の平均死亡年齢より25歳若い、ということが判明。
ロック・ミュージシャンが自殺する確率は、普通人の7倍で、他殺で死亡する確率も、普通人の8倍。
若死にしたロック・ミュージシャンの91%が男性であり、若死にした死因の多くはドラッグの過剰摂取などを含む各種事故、自殺、他殺などだった、という。
ジミー・ヘンドリクスは27歳で夭折。死因は酒と睡眠薬を併用したため、睡眠中に嘔吐し吐瀉物を吸い込んだことによる窒息死、とされている。
エリック・クラプトンもジミー・ペイジもドラッグとアルコールでは苦しんだ。
ジェフ・ベッグが先に逝くとは……
https://history.sakuramaru.com/
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1090910735?__ysp=44K444Kn44OV44OZ44OD44Kv56eB55Sf5rS7
https://rockinon.com/blog/kojima/165208
ちょうどチャットノベルで調べて投稿したばかり。
ギタリストにとっての憧れであり、神様的存在の3人の名はエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ。
3人とも60年代中期にヤードバーズというバンドに在籍していた。
なぜ、ヤードバーズを知っているかというと、私の好きなデヴィッド・ヘミングスが出演している映画『欲望』(1966年)の中で演奏していたのだ。これはファンには有名らしい。
ガムを噛みながら演奏していた若きジェフ・ベックが調子の悪い機材に怒ってギターを叩きつける……
ところが、ヤードバーズは、この3人のギタリストを輩出したにもかかわらず、たいした商業的成功はおさめなかった。
彼らがその後独自の活動をしていなければ、3人は3大ギタリストなどというカリスマ的存在にはなりえなかったのである。
ヤードバーズ時代から3人に共通していたのは、ブルースだった。
ブルースは黒人のものであったが、白人もブルースにとりつかれて白人なりのブルースをはじめる。
そして、3人はそれぞれの道を歩き出す。
エリック・クラプトンはクリームというバンドを結成、ジェフ・ベックはジェフ・ベック・グループを、そしてジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンを結成する。
彼らがこの新しいバンドでやってみせたのはブルースを主体とした、とてつもなくパワフルで劇的なロックだった。ハードロックと呼ばれるジャンルの土台を作ったのである。
そして、70年代はハードロックの黄金時代を迎えることになる。
なぜ、この3人のギタリストがハードな方向へ向かったのかは、若くして逝ってしまった天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリクスの影響が大きい。
ジミ・ヘンは黒人であった。パワフルでソウルフルな音を放っていた。ジミ・ヘンはギターを「弾いた」のではなく、ギターで叫び、歌い、あえぎ、泣いた。
どれだけテクニックがあろうと、黒人のブルース・フィーリングを会得していても、ギター奏者本人の感情が吐露されていなければ、本物のギタリストとは言えない。
この3人はテクニックの上にその感情の吐露にいち早く気づき、ギターに歌わせ、喋らせ、あえがせ、泣かせることができた人たちなのではなかろうか。
ジミヘンの登場以降、彼ら3人が模索し、加工した、新しいギター主体のロック(ハード・ロック)の、重いリズムと「泣きのギター」は、当時のベトナム戦争や学生運動の敗北などといった、ヘヴィーな社会情勢と、抑圧された若者たちの内にこもったエネルギーを見事に晴らしたのだった。
ジェフ・ベックは、エリック・クラプトンと共に天才ギタリストとして60年代半ばから活躍しながら、性格やギターに対する姿勢はまったく違っていた。"神様"と呼ばれながらも、常にフレンドリーで誰よりも人間的であったクラプトンに対し、ベックは性格も利己主義で自分勝手、非情だとまで言われ、どこか近寄りがたい存在であった。ギター奏法においても、かなり独創的でトリッキーなことから、後継者になるようなプレイヤーも現れず、いつしか「孤高のギタリスト」と呼ばれるようになっていた。
68年になると、ソロ時代のバック・メンバーを中心に、ジェフ・ベック・グループを結成。そのメンバーの中には、ロッド・スチュワート(vo)、ロン・ウッド(b)、エインズレー・ダンバー(ds)、ニッキー・ホプキンス(key)らがいた。
このバンドはベックのわがまま(音楽的なもの)で、メンバーをコロコロ代えつつ2枚のアルバムを残し、69年のウッドストック・フェスティバル出演間際に突然解散した。
75年、付いて来るメンバーがいなくなったのか、はたまた付いて来られるメンバーが見つからなかったのか、ベックはついにソロとなり、全面インストゥルメンタル(=インスト。唄なし)のアルバム「ギター殺人者の凱旋(Blow By Blow)」をリリースした。今ではロック・ギタリストのインスト・アルバムなど珍しくもないが、当時はまだ前例があまり無く、かなり衝撃的なものだった。内容的にも、ジャズ寄りのミュージシャンを従え、ロックとジャズの融合を図った斬新なものだった。
このベック初のソロ・アルバムは全米4位の大ヒットを記録。インストのアルバムがこれほどのセールスを記録するのはたいへん珍しい。この大ヒットで、それまで3大ギタリストの中では、1番地味な存在であったベックも、一挙にクラプトンやジミー・ペイジと肩を並べるほどの存在となった。
また、このアルバムの成功は、ロック界のみならずジャズ界へもかなりの影響を及ぼし、あっという間にクロスオーヴァー・サウンドは一大ムーブメントを巻き起こす。そして、ついには「フュージョン」という1ジャンルとして独立してゆくまでに発展する。
かのエアロスミスがビッグになり、ライブでベック時代のヤードバーズの曲「トレン・ケプト・ア・ローリン」を演奏したとき、ベックが急遽ゲストでステージに上がるや、ジョー・ペリーは感動で涙を流しながらその場に立ちつくした。
ハリウッド・ヴァンパイアーズのシンガー/ギタリストとしても活躍する俳優のジョニー・デップとタッグを組んだ ”ジェフ・ベック・アンド・ジョニー・デップ” 名義によるスタジオアルバムもある。
両者の付き合いは長い。
ジェフ・ベックの私生活に関する情報は少ない。妻がいたことも亡くなってから知った。
もともとはピアノを習っていた。
少年時代はロカビリーに夢中だった。
ジミー・ペイジとは古い仲だが、彼を引き合わせたのはジェフのお姉さん。
子供はいないはず。
菜食主義者である。
ミック・テイラー脱退後、ローリング・ストーンスのメンバーに誘われたことがある。
ドラッグには手を出していない様子。アルコールや女性関係などの、スキャンダルらしいスキャンダルもない。
改造車(ホッドロッド)が好き。車いじりが好き。
古城に住んでいる。
その古城でCharとセッションしたことがある。Charがそろそろ帰るといったら、もっとプレイしたいと拗ねたらしい。
2000年暮れの来日時、久米宏がジェフにインタビューしたことがある。でもジェフのファンの間では不評(You Tubeで見られます)。
アコースティックやガットギターの腕前はない。歌唱力もなく(歌っていますが)作詞・作曲の才能もない。つまり、エレキ・ギター『しか』弾けない(これは最大級の褒め言葉ですのであしからず)。
商売道具であるギターの扱いは雑。ある年の名古屋公演ではプレイが終わった後、近くにいたスタッフにギターを放り投げて渡していた。
好きなギタリストはジミ・ヘンドリクスやジョン・マクラフリンなどなど。
イギリス人だがサッカーには興味がないらしい。
『欲望』『ツインズ』ではギタリストとして映画出演しているが、『法王さまご用心』では、ロケの見学に行った時に郵便夫役で出演する事になった。
ロックミュージシャンの死亡年齢は、普通人の平均死亡年齢より25歳若い、ということが判明。
ロック・ミュージシャンが自殺する確率は、普通人の7倍で、他殺で死亡する確率も、普通人の8倍。
若死にしたロック・ミュージシャンの91%が男性であり、若死にした死因の多くはドラッグの過剰摂取などを含む各種事故、自殺、他殺などだった、という。
ジミー・ヘンドリクスは27歳で夭折。死因は酒と睡眠薬を併用したため、睡眠中に嘔吐し吐瀉物を吸い込んだことによる窒息死、とされている。
エリック・クラプトンもジミー・ペイジもドラッグとアルコールでは苦しんだ。
ジェフ・ベッグが先に逝くとは……
https://history.sakuramaru.com/
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1090910735?__ysp=44K444Kn44OV44OZ44OD44Kv56eB55Sf5rS7
https://rockinon.com/blog/kojima/165208
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