第29話 褒める

文字数 959文字

 子供の頃は嫌いな子とは距離を置いた。何人かで遊んでいても、嫌いな子が入ってきたらそっと抜ける。
 大人になっても、嫌いな人は嫌い。親も先生も近所の人も、いつも笑っている人気のある女も大嫌い。人間嫌い。他人の悪いところばかり見える。

 そんな感情を表に出さないようにした。だから友達は少なかった。損だったと思う。

 ケチで無愛想。
 そんな私が姉の紹介でブティックで働くことになった。
 性格を変えてみたかったのもある。
 小さなブティック。ほぼ常連さんだけの店。
 面接の時に、変わった店だと言われた。きついけど大丈夫? かと。

 
 嫌な客が多かった。暇つぶしに来る小金持ち。ブティックに毎日いらっしゃる。長時間いらっしゃる。
 頭の中で嫌いな客のワーストスリーを決めた。両頬を引っ叩いてやりたくなる女、鳥のように首をひねりたくなる女、あとは近づきたくもない女……
 嫌い、嫌い、嫌い……でも、顔に出してはいけない。

 店長に言われた。かわいがられた方が得でしょ……
 店長は私の性格をわかってくれた。いいところもたくさんあるんだから、と。
 とりあえず、店長の懐に飛び込んだ。
 
 ずいぶん本を読んだ。

 褒めてみる。褒めて、相手の顔が変わっていくのを楽しめ。
 14年も働いていると、口が勝手に動く。すらすらと心にもないことを喋っているこの声は誰?

 お世辞がベタベタ。
「わたくし、いくつに見えます」
と誰にでも聞く70近い未亡人。若く見えると思っているのだろうな。
「40代に見えますよ」
 言葉がバカ丁寧。口紅をルージュ、と言う。
 年にしては歯がきれいだった。
 子供の頃から小魚を食べていたのかしら? 
 本気で褒めたら、
「全部かぶせてあるんですのよ。1本◯万円」
 喋る喋る。
「ワタクシ、お付き合いしている殿方がいるんですの」

 今は老人施設で短時間働いている。 
 自然に出る。
 髪型素敵ですね(羨ましいくらい量が多い)
 眉の形がいいですね。(90代の女性がアートメイクをしている)
 モテたでしょう?
 部屋に閉じこもっている男性には、
「みんな、◯◯さんに会いたがってますよ」
「まだまだ恋ができますよ」
 ふたりで爆笑。

 1度だけ言われたことがある。80歳を過ぎた認知症のご婦人に。
「おべんちゃら、言ってんじゃねーよ」
ドキッとした。でも、この女性、大好き。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み