五章 17

文字数 2,553文字

「終わってしまったな」
「そうね」
 二人はすべてのファイルに目を通した。しかし、佐藤母子と滝沢誠を繋ぐ糸は見つからなかった。
「机の引き出しの中は見たの?」
「ああ、特に何もなかったぞ」
 大塚は引き出しの取っ手に手をかけた。
「あれ?開かない」
 土橋が引いた時はちゃんと開いた。古い机だから引っかかったのだろう。
 大塚は力任せに引っ張った。
「おい」
 “ガコッ”という音とともに引き出しが机から外れて、床に落ちてしまった。
「ごめんなさい!」
 大塚は床に散乱した中身を拾い始めた。
「いいよ。古い机だから当然だ」
 土橋もそれを手伝った。そして見慣れない封筒を見つけた。
「ん?こんなものあったかな?」
「土橋さん、これ!」
 大塚は落ちた引き出しを裏返していた。引き出しは二重底になっていて、それが外れていた。
「その中にあったのかな」
 土橋は封筒を机の上で振った。中から鍵と紙切れが出てきた。紙切れにはいくつか数字が書いてある。
「土橋さん、もしかしてこれ!金庫の鍵じゃない?」
「そうか!開けてみよう」
 鍵を差し込んで捻ると、錠は簡単に回った。
「ではこれは暗唱番号か?」
 紙に書かれている数字を打ち込むと、閂が外れる音がする。L字の取っ手を捻ると金庫は開いた。
「やったじゃない!」
「ああ、問題は中身だ」
 中はがらんとしていて、B5サイズの大きめの手帳だけが置いてあった。中を見るとそれは一郎の日記だった。
「毎日書いていたわけではなさそうだな。日付が飛び飛びだ」
「土橋さん、ここ!」
 日記をのぞき込んでいた大塚が指を差した。『次の買収先はどこにしようと尋ねると、良枝と真奈美が“アミダで決めよう”と言った。二人のワガママも困ったものだ』
「何だって!」
 続きがある。『娘のワガママに応えてやるのも父親の甲斐性というものだろう』
「娘?真奈美のことか……」
「貸して!」
 大塚はページをめくった。
「『滝沢誠の弱みを調べさせた。真面目一辺倒のつまらない男だ。何も出てこない。仕方なく良枝を使うことにした』弱み?『良枝にも靡かない。なんて堅い奴だ』『山口にも協力させることにした。岩槻は最近手緩い。山口を使う方が確実だ。あいつは男が好きだから喜んで引き受けるだろう。気持ち悪い奴だ。俺にもたまにそういう目を向けてくる時がある』『なんとか成功だ。写真の出来映えも見事だ。どう見ても良枝と滝沢の浮気現場にしか見えない』『マスコミに情報を流した。滝沢工務店の株価は順調に下がっている。これ以上は望めないだろう。今が買い時だ』……何て事なの!」
「そんな……」
 土橋は膝から崩れ落ちた。――父親がそこまでしていたとは……。
 土橋の父を信じる気持ちが、音をたてて崩れていった。
「『滝沢が死んだ。山口はビビっている。心配ないと言っても信じようとしない。山口は切り時かもしてない』切り時……。『岩槻が辞めたいと言い出した。俺たちは人殺しだと。馬鹿な奴だ。今更、良心が目覚めたらしい。それに滝沢は殺されたんだ。自殺ではないと新聞にも書いてあった。俺たちは何も悪くない』この後はかなり間が空いているわ」
「止めろ!」
「止めないわ。あなたはこの事実を受け止めるべきよ」
「しかし……」
「解決するんでしょう?もう誰も殺させないんでしょう?」
 土橋は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「聞いていたのか……」
「いつまでも過去に縛られていていいの?そんな悲しい人生でいいの?あたしはイヤ!あたしは未来を見たいの!自分の未来を誇りたいの!」
 稲妻が落ちたような衝撃を受けた。未来のことなどここ数年考えたこともなかった。大塚は必死にもがいて柵(しがらみ)から逃れようとしていたのだ。昨日から大塚に諭されてばかりだ。土橋は自分が情けなくなった。
「続けてくれ」
 大塚は微笑んで日記の続きを読んだ。
「『岩槻と山口が殺された。これは偶然か?もしそうでないなら、次に殺されるのは俺かもしれない』『誰が犯人なんだ?そういえば、最近怪しい奴が近所をうろついていると妻が言っていた』『脅迫状が届いた。滝沢誠を殺したのはお前だと?笑わせるな!滝沢を殺したのは俺じゃない!滝沢誠に謝罪をしなければ、すべてをマスコミに話すだと!馬鹿にしやがって!何を謝罪する必要がある』『脅迫状を郵便受けに入れた奴が防犯カメラに写っていた。中年の冴えない女だ。誰なんだこいつは!』これが最後よ」
「中年の冴えない女……。恐らく綾子だろう」
 “ヴーヴーヴー”携帯電話のバイブレーションが鳴った。
「ん?俺じゃないな」
 大塚は慌ててバッグを探って携帯電話を取り出した。
「はい。明!うん。明の方はどう?え?本当なの!誰なの?秘密?何言ってるの!冗談言っている時じゃないでしょ?え?こっち?こちらは……」
 大塚は手帳のことを話した。そして佐藤良枝と真奈美の我儘で滝沢工務店が選ばれたこと、谷口一郎が滝沢誠を脅迫したこと、死ぬ前に脅迫されていたこと、中年女性がそれを投函したこと、すべて順を追って説明した。
「ええ、土橋さんは大丈夫。ショックは大きかったけど、立ち直ってくれた。うん?今から帰るの?ええ。一八時に屋上ね?解ったわ」
「どうした?」
「犯人が解ったそうよ」
「本当か!誰だ?」
「今は秘密だって。一八時に『サークル館』の屋上に来てって。そこで犯人を暴くそうよ」
「そうか……」
 腕時計を見ると一六時半過ぎだった。時間にはまだ早い。
「そう言えば昨日から何も食べてない。飯でも食いに行くか?」
「そうね。最後の晩餐になるかもしれないし……」
「え?」
「犯人の次の標的は誰か解らない。土橋さんかもしれないしあたしかもしれない。明は屋上に犯人も来ると言っていた。もしかしたらその場で殺されるかもしれないわ」
「そうはならないさ。君が襲われたら俺が必ず護る。俺が襲われても、そう簡単には殺されないさ」
「土橋さん……」
 添えられた大塚の手は小さく、そして暖かかった。
 
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