二章 9

文字数 2,616文字

「あれ?今日は奈々ちゃんと一緒じゃないのか?」
 相変わらず暑い『野草サークル』の部室。
 東雲のTシャツは汗でべちゃべちゃだった。
 男臭さと甘い香りが混ざり合った不思議な臭いに、明の頭はクラクラしてきた。
 それに気がついて、東雲はやむを得ず窓を開けた。外はしとしとと小雨が降っている。
「奈々は最後の一人に会いに行った」
「最後の一人ってあいつか?」
 明は頷きながら顔をしかめた。
「昨日、梨香子に会ったよ」
「それならお前が聞けば良かったじゃないか」
「無理!話ができる感じじゃなかった」
「まだ、付きまとってくるのか?」
「ここ最近は彼氏がいたみたいだから収まっていたのに。また別れたのかな?」
「……かもな。奈々ちゃん大丈夫か?梨香子だぞ」
「多分……。ちょっと心配だけど」
 二人は梨香子が色々と複雑な恋愛遍歴を持っていることを知っていた。
 不安になった明は注意を促すメールを送ることにした。送信ボタンを押して溜息を吐く。
「多分これで大丈夫だと思う」
「そうだな。ここで心配していてもしょうがない。奈々ちゃんを信じるだけだ」
「奈々なら大丈夫だよ」
「ところでお前の方はどうだった?」
 東雲の顔が急に真顔になった。
「ハードだったよ。七人はこの街にいなかった。この七人を調べるには時間がかかりそうだったから排除したよ。可能性はゼロじゃないけど、こっちは三人しかいないし」
「そうだな。それで残りの一○人は?」
「みんな被害者意識の固まりだったよ。“しょうがなかった”とか“不景気だし”とか、そんな話ばっかりだ。アリバイのない子もいたけど、徳田を嫌ってはいるけど、忘れたいって感じだった。卒業だけは約束どおりさせてくれたらしいしね」
「最近、関係があった子ではないかもしれないな。最近ならいくらなんでも顔を忘れるわけがない」
「そうだね。徳田のリアクションは、明らかに初対面ではない。しかし、最近は会っていない。ってことはやっぱり卒業生かな?街を離れている七人のうちの誰かかな?」
「もしそうだったら、学長にごめんなさいだ。俺らは少数精鋭。絞り込んでいくしかない」
「そうだね。大学内に徳田に恨みを持つ者が他にもいるのかもしれないね。とっかかりがないなあ。どうしよう」
「それなんだが、徳田の元妻から面白いこと聞いたぞ」
「え?何?」
「徳田は一○年前に刺殺された滝沢誠の妻と愛人関係にあったそうだ。それに最近、徳田が今どこで働いているのかを尋ねる電話がかかってきた。徳田の元妻が堂明大だと答えると、驚いた様子で、“そんな近くにいるとは思わなかった”と言ったそうだ」
 明は顎に手を当てて考え込んでしまった。そんな明を東雲は伺うように見ている。考えが纏まったのか、明は顔を上げた。
「殺害の動機が一○前の事件と繋がっているかは解らないけど、その電話は怪しいね。近くということはこの街に住んでいる者に間違いない。徳田が堂明大で働いていることに気がつかないということは、大学内の人間ではない可能性が高い」
「そうだな……」
「その電話の主は男?女?」
「女の声だったそうだ」
「女なのか……」
「どうした?」
「現場を見た僕の感想なんだけど……」
「聞かせてくれ」
「犯人は男なんじゃないかって気がするんだ」
「……根拠は?」
「徳田はナイフで脅かされているとはいえ、やたら素直にソファーまで誘導されて手錠をかけられている。その後も抵抗できずに殺されている。相手が女だったらもっと抵抗したんじゃないかな?普段は女生徒を奴隷のように扱ってるんだから」
「なるほど……、そう言われると確かにそうだな。となると結論は一つだな」
「なに?」
「犯人は男と女の共犯だ」
 確かにそうかもしれない。犯行は大胆さと、証拠を隠滅する繊細さを持っている。
 でも捜査が行き詰まったことに変わりはない。奈々にも成果が出なければ振り出しに戻る。
「論理的に考えてみよう」
 明はテーブルに大学構内の見取り図を広げた。『全教館』は北西の角にある。その東隣に学長や学内の事務員が働く事務棟『紙務館』。さらに東隣は図書館『夢由館』。『全教館』の南には全体がアルファベットのCの形をしている『習学館』。その南東にはグラウンドや体育館。その東にはサークルの部室が入っている『サークル館』。
「まず犯人はどこから『全教館』に入ったんだろう」
「一階の入り口に決まってるだろ」
「ところが相田真紀の話では、帰る時、土橋が入り口に立っていたそうなんだ。そこから入ったら土橋に見られてしまう。ということはここだ」
 明は『全教館』と『習学館』の境目を指差した。そこは二つの建物を繋ぐ連絡通路がある。
「連絡通路は直接『全教館』の二階に行くことができる。徳田の部屋は二階だ。そこから入ると、三つ目が徳田の部屋だ」
「なるほど、それなら誰にも見られずに館内に入れる。ということは大学内の地理に明るい者の犯行だ。先程の推理と矛盾する」
「うーん。だよね」
「さらに明、お前は前提条件を間違えてる」
「何がさ」
「土橋が犯人だったらどうする?」
「あ?」
 土橋が犯人なら逆にすべてが説明できる。誰にも見られずに入れて、大学内の人間ではなく、男。
「でもさっき会ったばかりの男を“どこかで見た顔だな”何て言うかな?」
「言わねえわな。でもさっき言ったように共犯者がいれば説明できる」
「でもそうなると徳田を殺したのは女ということになる。推理と矛盾する。僕の勘が間違っているのかもしれないけど……」
 暗礁に乗り上げてしまった。すべての推理ルートにあの男が現れている。何かを知っていると考えて間違いないだろう。あの夜も何かを見ているかもしれない。
鍵を握るのはあの男だ。
「土橋を調べよう」
「名刺ならあるぜ。元妻から失敬してきた」
 東雲は土橋の名刺を差し出した。
 明は名刺を受け取った。
「犯人じゃなかったとしても、土橋は外に居たんだ。何かを見ているかもしれない」
 東雲は頷いた。
「土橋は僕が調べる。和さんはもう一度、教授室とパソコンの中身を調べ直して?」
「解った」
 時計を見ると夕方一八時を回っていた。
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