三章 4

文字数 2,131文字

 岩槻勇の家は取り壊されて更地になっていた。売り地という看板が立っている。周辺の家を訪ねてみたが、誰もが思い出したくないようで口を噤んでしまった。しかし五軒目の家で有力な情報を得た。その家の娘が、岩槻勇の娘の同級生だというのだ。娘がアルバイトしているというアパレルショップは駅の近くにあった。
 土橋はその店に入店した。レジ前にいた店員に声をかける。
「清美さんはいらっしゃいますか?」
「私ですが……」
 この女性が清美だった。どこか間の抜けた印象を受ける。
 清美の着ている服は、このショップの服のようだった。若者向けのアパレルショップだけあって、パステルカラーの色味が土橋の目にはきつかった。年をとったということだろうか。
 土橋は急に自分がもう若くないのだと実感した。
「土橋というものです。フリーライターをしています」
 土橋は名刺を清美に渡した。
「五年前の岩槻さん殺人事件を覚えていますか?」
「……はい」
 清美の表情が急に曇った。やはり思い出したくないのだろう。
「お話を伺いたいのですが。いえ、時間はとらせません」
「少しお待ちください。店長に聞いてきます」
 清美はレジの裏のバックヤードに入っていった。その後、店長らしき女性が出てきて、土橋を中に案内してくれた。
「清美ちゃん、接客は私がしてるから終わったら言って」
「はい。すいません」
 バックヤードは店員の休憩室も兼ねているようで、ロッカーやテーブル、パイプ椅子などが置かれていた。
「お暑いでしょう。ジャケットをお預かりしましょうか?」
 清美はショップ店員らしい心遣い見せた。
 土橋は清美のイメージを修正した。意外としっかりしているようだ。
「いえ、お構いなく」
「そうですか。お座りください」
 清美はグラスに市販の烏龍茶を注いで出してくれた。
「ありがとう」
 土橋は一気にそれを飲み干した。
「それでウチに何を?」
 なるほど。普段自分を“ウチ”と呼んでいるようだ。公と私を使い分けられる頭の良い女性だ。
「岩槻さんの娘さんと同級生というのは本当ですか?」
「はい。奈々とは親友でした」
「でした?」
「奈々は引っ越してしまったので、それからはたまにしか連絡をとっていません」
「どちらに引っ越されたかご存じですか?」
「確か堂明という処です。地理が苦手なので何県かは解りませんけど」
「本当ですか?」
「え?」
「その奈々さんという方は今、堂明に住んでいるんですか?」
「はい。お母さんと一緒に。去年年賀状が来ていたので間違いないと思います」
「その年賀状見せていただけませんか?」
「それはちょっと……、すいません」
 清美の目に警戒の色を見て取った。やはり頭の良い女性だ。詳しい住所を聞き出すのは無理だろう。
「では、お母さんの名前だけ教えていただけませんか?」
「それなら……。確か富美です」
「岩槻富美さんですか……」
「いえ、今は旧姓に戻られて大塚です」
「大塚富美さんと奈々さん」
「はい」
「奈々さんはショックを受けられたでしょうね」
「当たり前です!目の前で父親が殺されたんだもの……」
 自分が思いがけず大声を出してしまったことに驚いたのだろう。「すいません」と清美は謝った。
「いえ。こちらこそ、すいません。富美さんの様子はどうでした?」
「お母さんは立派な方です。奈々が入院してしまったので、それを必死で励まして。葬儀でも気丈にしておられました」
「富美さんは二階にいらっしゃったとか?」
「二階?そんなはずはありません」
 土橋の心臓は高鳴った。
 しかし、努めて冷静を装い、大したことではないかのように尋ねた。
「違うんですか?」
「はい。奈々の話ではその日お母さんは出かけていたから、良かったって。もし家にいたら……。奈々は泣いていました。お母さんも死んでしまったら、どうしたらいいのって」
 清美は涙を流していた。当時の気持ちが蘇ってきたのだろう。土橋はハンカチを手渡した。
「汗臭いですが、よかったら」
「ありがとう……」
 清美は土橋のハンカチで涙を拭った。土橋はそれ以上何も聞くことは出来なかった。
 
 
 例の屋敷を訪ねようとも思ったが、頭の中を整理したかったのでこの日は止めることにした。
 『名古屋駅』に戻りビジネスホテルにチェックイン。コンビニで買った弁当と缶ビールを机に置き、ジャケットをクローゼットにかけてほっと息を吐いた。そしてシャツを脱いで洗面所で洗い、バスタオルかけに干した。
 缶ビールの半分程を喉に一気に流し込む。思わず溜息が漏れた。
 土橋は夏が嫌いだった。忘れたい出来事があったことも理由の一つだが、一番の理由は暑いからだ。どんなに暑くても上着を脱ぐことができない自分が悔しかった。その反動だろうか、自宅に帰ると上着を脱ぎ捨てて、上半身裸になりたくなる。するとあらゆる柵から解放された気持ちになれる。
「明日は新聞社を訪ねてみよう」
 当時の記事を書いた人に会えるかもしれない。
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