一章 1

文字数 2,566文字

「明―――――」
 明るい声が聞こえてくる。明は声がした方を振り向いた。
「やあ、奈々。おはよう」
「おはよう」
 明を見つけて走ってきたのだろう。息が荒い。それに額にはうっすら汗がにじんでいる。七月の半ばを過ぎて、急激に暑くなってきたので当然だ。見上げる明に、奈々は呼吸を整えてから早口でまくし立てた。
「楽屋泥棒捕まえたって本当?誰?どこのサークル?男?女?っていうか、どうしたの?それ」
 奈々は明の首を指差した。そこには引っ掻いたような傷があった。
「寝てる間に……ちょっと」
「またなの。ホント間抜けだね」
「うるさいな」
 明は口を尖らせた。
「そんなことより。あれ、どうなったの?」
「そんなことって……」
「いいから答えて!」
 奈々は明の肩を掴んだ。
「落ち着きなよ」
「落ち着いていられるわけないでしょ!」
「そうだけどさ。それに楽屋泥棒じゃなくて、更衣室泥棒だよ」
「いいから、早く説明してよ」
 そう言って奈々は明を睨んだ。怒った顔も絵になるなと、明は感心した。
 奈々はミス堂明大学に選ばれる程の美人だ。それにスレンダーな体型はまるでモデルのようだ。
 などと明は思うが、彼女はそういった仕事に興味がないらしい。二人が並ぶと身長差が嫌でも目立つ。一六〇㎝足らずの明に対して、今の奈々は一〇㎝ヒールのパンプスを履いているので、一八〇㎝を越えている。
 そんな凸凹の二人が出会ったきっかけは、入学式まで遡る。
 式の最中に盗難事件が起こり、場内は一時騒然となった。それを明がいとも簡単に解決したのだ。明はちょっとした大学内の有名人になった。その頭脳に感心したのか、それ以来奈々は明に付きまとうようになった。
 二人は現在大学二年生。そして同じサークルに入っている。
「解ったよ。犯人はこの大学の人じゃない。近所に住む二七歳の美容師さんだった。女性だよ」
「女?女だったの?」
「うん、そうだよ」
 明は事も無げに言った。
 一月ほど前、バドミントンの授業中に、女子更衣室から財布や化粧品――口紅のみ――、それに歯ブラシ――昼ご飯の後に磨くために持っている――などが盗まれた。
 更衣室には鍵が掛かっており、その鍵は授業中ずっと講師の男が持っていた。しかし、彼はずっと生徒たちと一緒にいて、一度も一人にはなっていない。
 またスペアキーは本館の事務室に保管されている。そこには一○名以上の事務員がいるため、誰にも見つからずに鍵を持ち出すのは不可能に思われた。ということは前もって誰かが合い鍵を作っていたと考えるのが一番自然だった。つまり大学内の人間が犯人である可能性が高いということだ。
 事件後、講師は被害者の女生徒達五人と共に学長室を訪れて事情を説明した。学長の判断は警察には通報しない方がいいというものだった。女生徒達は反発したが、学長は譲らなかった。
 最終的に女生徒達は折れた。その理由は、学長が財布から一○万円を取り出して女生徒達に渡したからだ。
「盗まれた金を私が補填しよう」
 喜ぶ女生徒達を見て、学長は得意気だった。女生徒が喜ぶのも無理はない。盗まれた現金は全員を合わせても三万円程度だったし、口紅や歯ブラシの分を足しても合計で五万に満たないと思われたからだ。
 学長は女生徒を可愛そうに思ったから金を出した訳ではない。もし大学内の人間が逮捕される事態になれば、責任を問われることになる。保身のためだった。
 対策として、女子更衣室の鍵は交換され、講師が更衣室の前で見張ることになった。しかし先週、再び事件は起きてしまった。講師が用を足すためにその場を離れた。そのわずか数分間を狙われた。盗まれた物の内容は前回と同じ。加えて使用済みの生理用品まで盗まれていた。女生徒達は同一犯の犯行だと考え、学長に直ちに警察に通報するように迫った。さすがに二度目は学長が説得しても折れなかった。
「もし、通報しないなら、あたし達が自分で通報します!」
 困り果てた学長は再び彼女達に金を渡して、少しだけ待ってくれと頼んだ。その後、学長は『ミステリー・サークル』の部室を訪れた。
 このサークルは決してミステリー・サークルの研究をする訳でも、描くためのサークルでもない。“ミステリー小説を愛する者達が集うサークル”というのが創部の理念だった。
 “だった”、というには理由がある。創部当初はそうだったが、今はその理念を持つ者は一人としていないからだ。いるのはミステリー小説を読んだこともない者とその男にくっついて入部した者、それにミステリー・サークルを研究するサークルだと勘違いして入部したUFO好きの者がいるだけだった。
 ではなぜ学長がここに来たのかというと、このサークルのエースと呼ばれている男が入学式で盗難事件を解決したことを覚えていたからだ。学長は明にこの事件の捜査を依頼した。
 そして昨日、明がその事件を解決したという訳だ。
「あたし、絶対犯人は危ない趣味の男だと思ってた。だって口紅に歯ブラシだよ!それに使用済みの生理用品盗まれた子もいるって話じゃない。何で女の人がそんなもの盗むのよ」
「売ったらしいよ。知らなかったけど、そういうのネットで売れるんだってさ」
「はあ?なにそれ!気持ち悪っ!」
「確かに……」
 明は心から奈々に同調した。世の男達のそういった趣味に、明は全く興味をもてないからだ。
「とにかく詳しく説明してよ」
「解ったよ。じゃあ部室に行こうか?」
「うん」
 そう言って奈々は明の腕に手を絡めた。凸凹した二人はそのままサ『サークル館』にある部室に向かった。
 友人達の中には、二人が付き合っていると思っている者も少なくない。しかし、二人はそういう関係ではない。
 奈々がそれとなくアピールしても明はなびくことがなかった。奈々は一度本気で、“明はゲイなんじゃないか”と疑ったことがあった。しかし、大学内に元カノがいるという事実を知り、その疑いは晴れた。疑いは晴れたが、変わりに嫉妬の炎がメラメラと燃え上がってきた。その元カノというのは、奈々が常にライバル視している女だったからだ。
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