一章 5

文字数 1,819文字

「和さんのところに行こうか?」
 明の言葉に奈々は、あからさまに嫌そうな顔になった。
「え―――――」
 奈々は東雲和成が嫌いだ。理由は簡単だった。明が東雲を好きだからだ。まるで兄を慕うように東雲と接している姿を見ると、男の東雲に負けたような気がしてイライラしてくる。
「じゃあいいよ。僕一人で行くから」明は拗ねたように言った。
「解ったよ。あたしも行く」
 二人は部室を出て階段をおりていった。三つ階を下って地下一階に着いた。階段の正面にお目当ての部室はあった。扉にはマジックで『野草サークル』と書かれている。
 明は“コンコンコン”と三回ノックして、ノブを“ガチャ”と一回まわし、今度は“コンコンコンコン”と四回ノックして、さらに“コンコン”と二回ノックした。
 しばらくすると鍵が開く音がした。明は扉を開いた。中の臭いが漏れてきて鼻孔を刺激する。柑橘類の様などこか甘い臭い。奈々はこれを嗅ぐ度に吐きそうになる。臭いそのものに反応している訳ではない。その臭いが何の臭いであるか見当はついている。その正体に吐き気を感じるのだ。
「またなの、和さん」
 明は気にした様子もない。
「明、早く閉めろ」
 二人は中に入って鍵をかけた。エアコンはついていないので、かなり蒸し暑い。扇風機くらい付けてほしいものだ。奈々は思った。
 東雲は一見すると煙草の様なものを吸っていた。しかしそれはタバコではない。奈々にはそれが何であるか見当はついているが、東雲に尋ねると“ただの煙草だよ”と誤魔化すだけだった。
 東雲の頭部には稲妻の様な傷がある。小さい頃の傷らしいが、東雲はその傷を隠そうともしない。普通なら髪を伸ばして隠したくなるものだが、東雲は丸坊主にして堂々と傷を見せている。さらに左耳には無数のピアス。どれだけ穴を開ければ気が済むのか、奈々は理解に苦しむ。
 着ている服も気に入らない。タンクトップにカーゴパンツ、ビーチサンダルを履いている。タンクトップから飛び出した腕は逞しい男のそれだった。東雲はいつもこの様な格好をしている。身長も奈々よりも少し高いから、圧迫感もある。
 明はうっとりするようにそれを見ている。明はお世辞にも逞しいとは言えない。背も低いし、身体も華奢だ。だからだろうか、明は東雲が憧れだという。
 そんな東雲は二人と同じ大学二年生だが、年齢は三つ上。一年生の途中から二年以上にわたって休学していた。理由を聞くと、東雲は「自分探しだ」と答えた。海外を放浪していたらしい。
「明、その傷もしかして……」
 東雲は明の首を指差した。
「寝ている間に……」
 東雲は大笑いした。そして「またか?」「ドジ」「間抜け」と散々からかった。からかうのに飽きたのか、東雲は唐突に話題を変えた。
「ところで明。また事件解決したらしいじゃねえか」
 奈々は憮然としながらも感心した。この事件のことは東雲には話していないと言っていた。東雲はどこで情報を仕入れたのか。
「相変わらず地獄耳だね」
「お前はすげえよ」
「えへへ」
 明は嬉しそうにはにかんだ。それとは対照的に奈々はさらに不機嫌になった。
「東雲さんと明ってどういう関係?」
「どうって……、なあ?」
 東雲は明を見た。明は奈々を見てニヤニヤしている。
「明、おもしろがってるでしょ」
「ばれた?だって奈々が妬くんだもん」
「だって……」
「妬くって俺にか?」東雲の問いに奈々は頷いた。
 東雲の笑い声が部屋に響く。そしてじっと奈々を見つめて言った。
「明は弟みたいなもんだ。奈々ちゃんは可愛いな」
 明は身体でその視線を遮った。
「和さん、奈々に手を出したらダメだよ」
「出さねえよ。怖えな」
 奈々からは明の顔が見えなかったが、恐らく怒っているのだろう。奈々は急に嬉しくなった。
 東雲は再び煙草の様なものに火をつけた。
「ところで何の用だ?」
「あれのこと、解った?」
「あれか?もうちょいだな。今日あたりやりそうだ」
 東雲はにやりと笑った。明は満足そうに頷いた。
「じゃあ、また明日来るよ」
 そう言って明は出て行こうとした。
「ちょっと、何の話?」
「ひ・み・つ」
 明はウインクした。
「東雲さん!」
「ひ・み・つ」
「お前ら!」
 奈々はやはりイライラした。
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