三章 5

文字数 2,121文字

 土橋は朝食を地下街の喫茶店でとることにした。
 昨日タクシーの運転手に「朝食はいつもモーニングです」と言われて気になっていたからだ。コーヒーを注文すると、「パンになさいますか?それともご飯?」と聞かれて「パン」と答えた。するとコーヒーと一緒にトーストとゆで卵、それにサラダが付いてきた。これがコーヒーの料金で“おまけ”として付いてくるのだという。土橋は「ご飯」と答えていたら何が出てきたのか店員に聞いてみた。
「ご飯とお味噌汁、卵焼きと冷や奴がつきます」
 と当たり前のように言われてしまった。コーヒーに合うのかどうか疑問に思ったが、周りを見ると客の半分くらいは「ご飯」を食べている。
 土橋は驚きながらトーストをかじった。厚みも五センチ近くある。普段は朝ご飯を食べない土橋には十分過ぎる量だった。土橋は三○○円を払って喫茶店を出た。この値段でやっていけるのだろうかと素朴な疑問を持ったが、やっていけているからこの値段なのだろう。地下街は朝食の激戦区になっているようだ。中には四○○円で朝食バイキングという店もあった。
「明日はここにしよう」
 その後、土橋は地下鉄に乗って『丸の内駅』で降りた。少し歩くと大きなビルが見えてきた。名古屋の地元新聞の本社ビルである。土橋は出勤する社員に混じってそ知らぬ顔で入り口をくぐり、エレベーターに乗った。そして社会部のオフィスに入った。ある程度年をとった人を見つけて声をかけた。
「五年前の岩槻さん殺害事件の記事を書いたのはどなたですか?」
「あんた誰?」
 土橋は名刺を手渡した。
「どうやって入ったの。全く……、困るんだよな、忙しいのに」
「すいません。すぐに終わらせますので」
「山さん!山さん!」
 その男は大声を出した。遠くで「あん」と答えが返ってきた。
「あの人だよ。勝手に聞いてくれ」
「ありがとうございます」
 土橋は男に頭を下げ、山さんと呼ばれた男の元に行った。
「突然すいません。少しお話を聞かせてもらえませんか」
「何だよ。今から取材なんだよ」
「すぐにすみます。すぐ!」
 土橋は拝むような格好をした。山さんは苦笑いを浮かべて「話してみなよ」と言った。
「五年前の岩槻さん殺害事件についてなんですが」
「懐かしいのが出てきたな。何が聞きたいんだ」
「岩槻さんが殺害された時、奥さんは家にいたんですよね?」
「ああ」
「本人の証言ですか?」
「娘の証言だよ。娘は母親が間違いなく家に居たって言ったんだ」
「でも娘は直後口が利けなくなったんですよね」
「ああ、だから最初は母親が疑われた。母親はその日のことは思い出せないって言ってたらしい。怪しいだろう?強盗に見せかけた夫殺しなんじゃないかってな。でも娘が口を利けるようになって、母親は犯人ではないと証言した。母親は酔っぱらって父親が殺される少し前に帰ってきたってな。肉親の証言だから信憑性はなかったんだが、娘と父親はかなり仲が良かったらしいんだ。だから肉親とはいえ庇うとは思えなかった」
「なるほど……」
「よからぬ噂もあったんだ」
「それは何ですか?」
「娘は母親の連れ子だったんだ。だから父親と男女の関係だったんじゃねえかって。痴情のもつれで娘が父親を殺したんじゃねえかってな」
「連れ子……。それで実際は?」
「男女の関係は知らねえが、母子の殺人の疑いはすぐに晴れた。近所のホームレスが玄関から逃げていく奴を見たっていうんだ。人の出入りはそれだけだったらしい。翌日がゴミの日だったんで、近隣のゴミ捨て場を漁っていたらしい。その時、たまたま見かけたらしいんだ。救急車と警察が駆けつけた時には娘は気を失っていて、母親は二階で眠っていた。だから逃げた奴が母子であるはずがない」
「それ誰が呼んだんです?」
「あん?」
「警察と救急車ですよ。娘は気を失っていたんでしょ?」
「!」
 山さんは今気がついたとばかりに驚いていた。そして引き出しから当時の資料を引っ張りだした。ページを慌ててめくる。「あった!」山さんは叫んだ。
「名前は名乗らなかったと書いてある」
「男?女?」
「そこまでは書いてねえ。俺はてっきり娘が通報したもんだと思ってたぜ」
「それ調べられませんか?」
「でもなあ。今さら……」
「実は、娘の友達から興味深い話を聞いたんです」
「友達?」
「はい。娘はその友人に、母親は事件の時家にいなかったと話したらしいです」
「なんだって?それおかしいじゃねえか。警察が来た時はベッドで寝てたんだぜ?」
「はい。だからおかしいんですよ。色々とズレがあります。母親はその夜のことを覚えていない。娘は母親が家で寝ていたと証言。と同時に友人には居なかったと言っている。さらに家から逃げていく者がいた」
「娘が嘘を言ってるってことか……。一体なぜ?」
「解りません。でも何か裏があることは間違いありません」
「……解った。調べてみよう。面白くなってきたな。もしかしたらお宝かもしれねえな」
 山さんは不適な笑みを浮かべた。
 
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