四章 11

文字数 4,533文字

「山田さん。話って何?」
 奈々は感情のない声で聞いた。先程までの柔らかい雰囲気とはまるで違う。鋭利な刃物のような表情を見せた。
 電話をかけてきた山田幸子は彼女に話があると言った。奈々は明と土橋も一緒に居ても良いかと聞くと、その方が良いと山田は答えた。山田も明のことは知っているようだ。
「真紀が捕まったの」
「真紀って。相田真紀のこと?」
 山田は頷いた。
 奈々と明は顔を見合わせた。そんな話は初めて聞いたといった風だ。
 山田の話では警察は先程、相田真紀を連れていったらしい。警察は相田に「なぜ嘘を吐いたんだ」と詰め寄ったという。
「相田っていうのは誰のことだ」
 土橋は聞くと、明はすぐに答えてくれた。
「土橋さんも会っているでしょう。あなたの後に部屋に入った学生ですよ」
「あの子のことか。嘘っていうのは?」
「恐らく、教授との関係のことでしょう。相田は警察にはそのことを話さなかったらしいから」
「それにしては随分時間がかかったな。徳田の部屋には奴のコレクションの写真が一杯あったはずだから、その子の写真もあっただろうに」
 徳田の元妻が教えてくれた。徳田は関係をもった相手の写真を、後生大事に引き出しに閉まっている――と。
「事件後の警察の行動を見て思うに……。写真はなかったんだと思います」
「そんなはずはないぞ。俺が部屋に行った時も、慌てて何か閉まっていたみたいだからな。多分それが写真だろう」
「犯人が持ち去ったんでしょう。多分、捜査に行き詰まった警察はもう一度証拠を洗い直したんでしょう。つまり教授の男根です」
「なるほど。話の腰を折って悪かった。続けてくれ」
 奈々は話を再開した。
「あなた達、知り合いだったの?」
「高校が一緒だったの」
「それであたし達に何をしてほしいの」
「彼女を助けてあげて。このままでは犯人にされてしまう」
 山田は俯いてしまった。その目には涙を浮かべている。
「それならあなたも本当のことを話して頂戴」
「え?」
「あなたはあたしに嘘を吐いた。このままでは協力はできないわ」
 奈々の言に隣で明も頷いている。
「……あたし」
 山田は逡巡している。よほど言いにくいことなのだろうか。
「あたし……、あの日、『全教館』に居たの」
「なんですって!」「なんだって!」
 どこに居たのだろうか。『全教館』には隠れる場所なんてどこにもない。土橋が二階から一階に下りた時も誰にも会わなかった。階段は徳田の部屋のすぐ隣だ。
「一体『全教館』のどこで何をしていたというの?」
「トイレ……」山田は消え入りそうな声で言った。
「トイレ?」
「トイレで徳田さんの部屋の会話を聞いていたの」
 トイレは階段の隣にある。位置としては右から徳田の教授室、階段、トイレの順になっている。
「聞いていたって……。まさか盗聴?」
 山田は頷いた。
「三○メートル以内じゃないと受信できないタイプだから」
「ずっと聞いていたの?」
「土橋という人が出ていったあたりからはずっと……」
「あなたは誰が教授を殺したか知っているの?」
 山田は首を振った。
「教授の悲鳴が聞こえて怖くなって逃げようとしたの。でも犯人も部屋から慌てた様子で飛び出してきたの。あたしはトイレに戻った。でも犯人はこちらの方には来なかった。顔は見ていないわ。でも男だった。それは間違いない」
 つまり犯人は部屋を出て、階段を下りずに連絡通路を渡って逃げたということになる。それならば一階の入り口に相田真紀以外、誰も現れなかったことは説明できる。
「なぜそのことを警察に言わなかったの?」
「盗聴していたことがバレたら警察はあたしを疑うかもしれない。それに……」
「それに?」
「あたしは許せなかった。真紀が再びあたしから好きな人を奪っていくことが……」
「どういうこと?」
「高校生の時、あたしは英語の教師と付き合っていた。でも真紀にその先生をとられたの。悔しかった!でも諦めるしかなかった……。真紀はあたしと違って社交的だし、あたしより……、綺麗だから。あの子にあたしの気持ちなんて解らない」
 奈々は苦笑いを浮かべている。何を思っているかは解らないが、奈々のように容姿に恵まれている女性には、山田の様な考え方は滑稽に思えるのだろう。
「あなたも同じこと言うのね」
「え?」
「いいえ。何でもないわ」
「だから、二回目は許せなかった。真紀が疑われたらいいって思った。けど実際に真紀が捕まるのを見ると……、急に怖くなったの。このままでは真紀が犯人にされてしまう。だから助けて欲しいの」
「あなたが警察に正直に話せばいいでしょう。そうすれば相田さんの疑いは晴れるわ」
「それは……」
 山田は黙り込んでしまった。友人を助けたいが、盗聴していたことは秘密にしたい。そんなところだろう。しかしその場合、なぜ『全教館』に居たのか、という話しになってくる。警察に中途半端な嘘は通用しないだろう。逆に山田が疑われるかもしれない。
「明、どうする?」
 明は頭を掻いている。少しイライラしているように見えた。
「あなた達はみんな一緒だ。自分のことしか考えていない。そんな人を助ける義理なんてないね」
「そんな……」
「と言いたいところだけど、僕の質問に正直に答えてくれたら何とかしてあげるよ」
「本当ですか!」
「まず、盗聴機はどうしたの?そのまま?」
「いいえ。疑われるのが怖かったので、すぐに回収に行きました」
 山田の表情が急に曇った。部屋に行ったということは徳田の死体を見たということだ。恐らくその姿を思い出しているのだろう。
「盗聴機を回収しただけ?」
「はい。それ以外は何もしていません」
「盗聴機はどこに仕掛けてあったの?」
「徳田さんの机にはコンセントの差し込み口が一つあります。そこには三分配のタップが差し込まれていて、それにパソコンのモニターと本体のコンセントが差し込んでありました。そのタップを盗聴機入りの物にすり替えました」
「回収の際には元々そこにあったタップを戻したの?」
「いえ。慌てていたのでタップを抜いてきただけです」
「つまり、君がタップを取った後はパソコンのモニターと本体のコンセントはどこにも差し込まれていない状態だったということだね?」
「はい……」
「警察が怪しむとは思わなかったの?パソコンが置かれているのにコンセントは差していない。おまけに差し込み口は一つなんて」
「その時はパニクっていてそんなことを考えられませんでした」
「でも指紋は拭き取ったんでしょ?」
「あ!」
 山田は明らかに動揺している。どうやらそれどころではなかったようだ。
「拭き取ってないの?」
「は、はい。すいません……」
「いや、僕に謝られても。でもおかしいな」
 そう言って明は腕組みをして考え込んだ。
 不安気に山田は聞いた。
「何がおかしいんですか?」
「事件の翌日、警察に指紋の提出を求められなかった?」
「はい。断ったら疑われそうだったので、指紋を取ることに了承しました」
「でも、その後何も言ってこないんだよね?」
「はい」
「犯人の後に部屋に入ったのなら、ノブやコンセントに山田さんの指紋が残っていたはずだ。僕が部屋を調べた印象ではかなり念入りに痕跡を消した節がある。指紋も拭き取ったか手袋をしていたはずだ。つまり指紋は二つのパターンが考えられる。
 犯人が手袋をしていた場合、新しい指紋は土橋さんと山田さんと相田さん、それに教授の四人。
 犯人が手袋をしていなくて犯行後に拭き取った場合、指紋は山田さんのみ。
 どちらにしても指紋を頼りに犯人を捜したのなら、山田さんが疑われる。しかし、警察は山田さんに一度話を聞いただけだ。むしろ相田さんを疑っている。なぜか?」
「……」
 明が何を言いたいのか、三人は解らなかった。
「部屋には誰の指紋もなかったんだよ。だから教授の男根に付着したDNAのみで、相田さんを疑っているんだ」
「明、それはおかしいわよ。さっき自分で言ったじゃない。どちらにしても山田さんの指紋が残るって」
 土橋も奈々のその意見に賛成だった。同意の視線を送る。
「山田さんの話では犯人は慌てて部屋を飛び出している。その時は何もせずに逃げたんじゃないかな。その後、指紋を拭き取っていないことに気がつき、戻ってきて証拠を隠滅した。山田さんが盗聴器を回収した後でね。だから誰の指紋もなかった」
「確かにそれなら説明がつくわね」
「でも一つ気になることがあるんだ」
 明の考えを土橋はすぐに理解できた。
「もしかしてこの子が盗聴機を回収した後、どこにいたかってことか?俺は相田って生徒が出ていった後も、三三分その場に居たんだ。しかしこの子は出てこなかった。君はどこにいたんだ?まさか連絡通路から出たのか?」
「いいえ。一階に行ってみると、外にあなたが立っているのが見えて……。見られる訳にはいかないと思いました。けど犯人が逃げた連絡通路を通るのは怖かった。だからまたトイレに入ったんです。しばらく経って一階から外に出ました」
「どれくらいトイレに居たの?」明は聞いた。
「念のため一時間くらい」
「その間、犯人は戻ってこなかったんだね?」
「はい」
 明と奈々は再び顔を見合わせて頷いた。山田は嘘を吐いていないと判断したようだ。
「正直に話してくれてありがとう」
 そう言って明は伝票を持ってレジに向かった。奈々はそれに付いていく。
「お、おい」
 土橋も慌てて続いた。学生に奢ってもらう訳にはいかないので、土橋は三人分の代金を支払った。
 レストランの出口で山田が明の腕を掴んだ。
「ちょっと待ってよ。結局どうなるのよ。真紀を助けてくれるんじゃなかったの?まさか騙したんじゃないでしょうね!」
「騙してないよ。大丈夫、相田さんはすぐに釈放されるから。警察署の前で待っていてあげたら?」
「本当ね!信じていいのね?」
「信じられないなら、別に信じなくてもいいよ。でも覚えておいたほうがいい。君たちは結局、自分で自分の首を絞めたんだ。相田さんと山田さんが最初から正直に話していればこんなことにはならなかった。警察を混乱させただけだ。君たちのせいで初動捜査が遅れたことは間違いないよ」
 明はそう言い放つと、山田に背を向けて歩き始めた。山田は呆然としていた。
「どうやって、相田さんの疑いを晴らすの?」
 奈々は明に追いついて聞いた。
「何もしなくていいよ。辻元さんは優秀だ。すぐに解放されるさ」
「明、あなたそれが解っていたのに山田さんから情報だけ引き出したの?」
「何か問題ある?」
「ないわ。あたしも彼女みたいな考え方嫌いだし」
 土橋は思った。――こいつら似た者同士だ。
 
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