五章 14

文字数 1,349文字

「切れたわ」
「一体どうしたんだ?明くんは犯人が解ったのか?」
「多分って言ってたわ。そんな曖昧な言い方するなんて初めて」
 明がこれまで大学内で解決した事件をすべて知っている。奈々が「犯人が解ったの?」と聞いた時の返事は二通りしかなかった。「解ったよ」か「まだ解らない」である。多分などという曖昧なことを言ったことはなかった。明にとって受け止めたくない事実がそこにあったのだろうか。
「明日行く処ができたとも言ってたわ」
「行く処?どこだろう」
「……今考えても始まらないわ。明日になれば解る。どうせタイムリミットは明日なんだから」
「そうだな」
「明には明がすべきこと。あたし達にはあたし達がすべきことがある。今はそれをしましょう」
「解ったよ。がんばろう」
「良枝と真奈美が買収にどう関わっていたか調べないと」
「ああ」
 二人は資料の山と再び向き合った。
 
 
 土橋が腕時計に目をやると、時刻は二四時を回っていた。
「もうこんな時間か……。大塚さん、家に送ろう」
「まだ大丈夫よ」
「だめだ。俺は崎本くんに責任を持つと約束したんだ」
「あたしが何をするか、明には関係ないでしょう?」
「でも、君たちは付き合ってるんだろう?」
「そういう関係じゃないの。明はあたしが一番心を許せる存在。それは間違いない。でもあたし自身がまだ恋愛できる精神状態じゃないの」
「もしかして君は……」
 土橋は名古屋滞在中に、山さん達と話していたことを思い出した。
「ええ。あたしは岩槻勇を愛しています」
「そう……だったのか」
 大塚は袖を捲った。そこには包帯が巻かれている。
「今でも自分を傷つけてしまうんです。父を護れなかった自分が悔しくて……」
「君は自分のせいで父親が死んだと思っているのか?」
「あの場にあたしがいなければ、父はむざむざ殺されることはなかった。あたしを護ろうとしたから殺されたの」
「そんなことは……」
「あるのよ!」
 大塚はほとんど叫んでいた。身体が震えている。歯を食いしばり、震えている。まるで怒りを押し殺そうとするかのように。
 土橋が怒りを犯人に向けた。それとは反対に、大塚は自分自身に怒りを向けていたということだろう。大塚の方が土橋よりも遙かに大人だった。
 土橋は急に自分が恥ずかしくなった。安易に怒りをぶつけ、自らを省みようとは思わなかった。不幸である自分に溺れ、気持ちよくなっていただけだ。“家族の敵を討つために東奔西走する自分は何と美しいのか”と――。
 土橋は懐から取っ手の焦げた包丁を取り出して、床に投げ捨てた。
「もう止めよう。俺も止める」
「……」
「月並みなことしか言えないが、君のお父さんは君がそんなことをすることを望んでいない。俺の家族も同じだと思う……」
 大塚の目から生まれた涙が、一筋の曲線を描いて床にぽとりと落ちた。
 
 大塚はまだ資料探しを続けると言ったが、無理矢理に車に押し込んで、自宅に送り届けた。「まだ時間はある」と説得したが、それは土橋自身に言い聞かせる言葉でもあった。
 大塚を送った後、土橋は再びシェルターに戻り資料の山との格闘を再開した。
 
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