五章 9

文字数 1,748文字

 なんとか目的地の目の前に車を停めた。そこは骨組みだけが残り、地面には残骸が散乱している。それらは黒く、炎の傷跡を色濃く残していた。車を降りると、再び発作が起こった。土橋はその場にしゃがみ込んでしまった。
「くそ!」
 大塚は土橋の肩に手を置いて再び「大丈夫、大丈夫」と言った。やはり不思議と落ち着いた。
「ここはもしかして……」
「ああ、放火された俺の家だ」
 大塚は無惨な姿になった現場を見つめている。三年前にこの場で炎が猛威を振るった、その傷跡が至る所に見て取れるはずだ。
 今この土地と建物――建物と呼んで良いかは疑問だが――は土橋の所有物になっている。
 土橋はこの土地を片づけることなく、当時のままの姿を残すことにした。あの時の気持ちを忘れないためだ。
 あの事件後、一度としてここを訪れてはいない。近づくと発作が起こり、炎の恐怖がよみがえってくるからだ。でも今はそんなことを言っている場合ではない。
「すまないが、地下シェルターの扉を探してくれないか?」
「シェルター?」
「ああ、防火扉だから残っているはずだ」
 
 しばらくすると大塚が叫んだ。
「あったわ!」
 土橋は何とか立ち上がり気力を奮い起こした。どっと首筋から汗が噴き出した。土橋はあまり汗をかかない。いや、かけないのだ。全身に火傷を負ってしまったことが原因だった。唯一汗をかけるのは首から上だけだ。
 土橋は両手で頬を叩いた。
 そして一歩を踏み出した。
――大丈夫。
 骨組みだけが残った建物は寂しげだった。近所の子供の遊び場になっているのだろうか、至る所に菓子の袋やペットボトルが落ちている。雨ざらしだから当然ではあるが、カーペットは泥と燃え滓でぐちゃぐちゃになっている。かつてリビングだった処は見る影もなくなっている。
 大塚が呼んだ場所に行くと、床に四角く大きな扉があった。
「これでしょ?」
「ああ、これだ。あの日はここに避難することができなかった。火の回りが早くてね。肝心な時には役立たずさ」
 土橋は鍵を取り出して、鍵穴にさした。泥が詰まっているらしく回らない。土橋は鍵穴にミネラルウォーターを流し込んだ。泥を洗って、改めて鍵を回した。三年振りに動く錠は、鈍い音をたててその封印を解いた。
 取っ手を握り、力一杯持ち上げると、重厚な音と共に開いた。
「電線は地下から引いているから、電気は生きているはずだ」
 そう言って土橋は入り口の傍にあるスイッチを二つ押した。中の明かりと換気扇だ。これを入れずに中に入るとすぐに窒息してしまう。
 二人は少し待ってからタラップを降りた。埃の臭いが鼻につくが、外の惨状に比べたら平穏そのものだった。立方体の部屋は東西南北すべての壁に本棚が並んでいる。中央には机があり、その隣には立派な金庫が置いてあった。タラップの隣には扉があり、奥には洗面所とトイレ、シャワー室があり、その床下の保管庫には非常食が入っている。
 元々はシェルターとして作られているから、外に出なくても数日間は生活できるようになっているのだ。
「親父はデジタル嫌いでね。資料はすべて紙だった。ここには仕事のあらゆる資料がある。この家を建てた時は、災害時の避難用に作ったシェルターだったんだが、いつしか親父の資料倉庫になってしまった」
「これは骨が折れそうね」
 一つの壁に本棚が四架、つまりこのシェルターには本棚が一六架ある。その本棚すべてにぎっしりとファイルが詰め込んである。しかもファイルの背表紙には何も書いていない。土橋自身も父親がどうやって資料を管理していたのか解らない。すべての場所を記憶していたのだろうか。
「金庫があるわね」
 土橋は金庫取っ手を捻ってみたがビクともしない。当り前のように鍵がかかっている。
「だめだな」
 この金庫を開けるには鍵と暗証番号が必要なようだ。土橋は金庫の鍵を持っていないし、暗証番号も知らなかった。金庫は諦めるしかないようだ。
「諦めよう。本棚のファイルをあたるしかないな……」
「そうね。気が遠くなりそうね」
「そうだな。でも仕方がない。手分けして被害者同士の繋がりを探そう」
 
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