五章 21

文字数 1,142文字

「な!」
 何を言っているのか理解できなかった。みんなの驚きを置き去りにして明は続けた。
「母さんを整形した医者が僕を覚えていた。間違いなくあの時の娘だと太鼓判を押してくれた。だから僕は解ったんだ」
「解った?」
「明……、何を言っているの?」
 明はそれらには答えずに続けた。
「僕は一○年前から男として生きることになったんだ。母さんは目的のためにはそうした方がいい。それに僕は病気だからって言った。何でそんなことをしなくてはならないのか当時は解らなかったけど、名古屋でその理由が解ったんだ」
「記憶喪失のことか?」土橋は尋ねた。
「確かに記憶を失ったけど、そのことじゃない。母さんはもう一人の僕のことを言っていたんだ。それを病気と表現したんだ。論理的に考えてそうとしか考えられない。僕の中にはもう一人の僕がいる」
「もう一人の僕?」
「僕は夜とても早く寝るんです。でも実は寝てるんじゃなかったんだ。僕が寝るともう一人が現れる。そう考えれば、僕が寝ている時によく怪我をしていた理由が説明できる。夜の間僕は外にいるんだからね。怪我もするかもしれない」
 明は周りを見回した。その場に居た誰もが混乱していた。
「母さんの目的は復讐だ。でも彼女にはできなかった。母さんは優しい人だから。そこでもう一人の僕が復讐を果たすことになった」
「優しいならなぜ放火した!」
「土橋さんごめん。その時、僕は交通事故にあって入院していたんだ。母さんは動けない僕の代わりにやってしまった。結果的に無関係な人まで殺してしまった」
「綾子はどこにいる!」
「死んだよ。自殺した……。放火事件の後だ。母さんは奥さんや娘さんを巻き込んでしまったことを後悔していたんだと思う。僕の前では言わなかったけど、もう一人の前ではそう言っていたようだ。日記に書いてあったよ。母さんは僕には復讐のことを秘密にしていたんだ。だから恥ずかしいことに、僕は何も知らなかった」
「そんな……」辻元は呆然として呟いた。
 なぜ呆然としているのか、土橋にその理由は解らなかった。解ったことは放火犯がもうこの世にはいないということだけだ。
「もうそろそろ時間だ。もう一人が現れる」
 腕時計を見ると、時刻は一八時二九分だった。
「奈々、ごめん。僕は和さんのことが好きだった。女の心は封印していたつもりだけど、だめだった。和さんも僕を愛してくれていたんだ。彼が死ぬ瞬間、それが解った」
「知っていたよ。明の気持ちは」
「ごめんね。さようなら……」
 辻元が身構えるのが解った。明が走り出し、飛び降りると思ったのだろう。しかし、明は動かなかった。
 一八時半を回り、明の雰囲気が一変した。
 
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