一章 4

文字数 1,732文字

「土橋建さん?」
 玄関口で女は泥棒でも見るような目を向けてきた。それはそうだろう。土橋の風体は警戒心を引き出すのに最適だった。三五歳という年齢の割に疲れ果てた顔、口周りには無精髭、髪はぼさぼさで白髪交じり、着ている服はよれよれのジャケットに、やはりよれよれのスラックス。そのジャケットも顔から垂れる汗でべとべとになっている。ネクタイはしていない。それにぼろぼろに履き潰された革靴が合わされば、怪しさ倍増である。
「はい。フリーライターをしています」
 そう言って土橋は女に名刺を手渡した。そこにはフリーライター土橋建とだけ書かれていた。女は名刺の裏を見た。そこには手書きで携帯電話の番号が書いてある。
 女は警戒心剥き出しの顔のまま、目線を上げた。それに合わせるように土橋が笑う。笑うと妙に愛嬌のある顔になった。これまでの厳つい顔が嘘のように柔らかくなる。不思議なもので、それを見て女は一瞬で警戒を解いた。
「何が聞きたいの?」
「実は、この地域の未解決事件について調べているんです」
「未解決事件?」
「はい。一○年前の男性刺殺事件。四年前の会社員男性刺殺事件。三年前の会社社長宅放火殺人事件。二年前の女子高校生刺殺事件。昨年のホステス刺殺事件。それらすべてがこの地域で起きています」
「一○年前……。ああ、滝沢さんが殺された事件ね。まだ犯人捕まってなかったの?」
 女は興味津々と言った風だ。
「滝沢さんとはご近所だったと伺いましたが」
「近所っていうか、お隣だったわよ。あの時はびっくりしたわ」
「そうですよね」
 土橋は同情する顔を見せた。女は満足そうに「本当よ」と言った。
「最初、滝沢さんが亡くなったって聞いた時は自殺かもって思ったけど、殺しだって言うじゃない?恐ろしいったらありゃしない」
「自殺?何で自殺だと思ったんですか?」
「そりゃあ……」
 女は言いづらそうにしている。土橋は再び笑顔を見せた。
「一○年も前のことですから、教えてくださいよ」
「そうよね。一○年も前のことだもの」
「そうですよ」
「あたしが話したって誰にも言わないでよ?」
 土橋は頷いた。
「滝沢さんね。会社の社長さんだったのよ。でも亡くなる少し前にね。クビになったらしいのよ」
「クビ?社長なのに?」
「あたしも詳しくは知らないわよ。とにかく急にクビになって、それで生活はだいぶ苦しかったらしいのよ。借金もあったらしいわ。だからそれを苦に自殺したんじゃないかって……」
「そんなことが……」
「ええ、でも警察がうちに来た時に自殺ではないって言ってたわ。だからあたしは強盗じゃないかって思うのよ」
「なるほど……。滝沢さんのご家族は?」
「奥さんと娘が一人いたけど、旦那が殺された時には家にいなかったんですって。いたら一緒に殺されてたかもしれないから運が良かったわよね」
「その時、奥さんと娘さんはどちらに?」
「奥さんの実家に行っていたらしいのよ。運良く二人は生き残ったけど旦那は殺されちゃって、不幸の連続で見てられなかったわよ」
 土橋は同意の意思表示に何度も首を縦に振った。しかし、運は良かったけど、不幸の連続とは不思議な言い回しだ。などと考えていると、女は話を続けた。
「お金なんかなかったから、腹をたてて殺したのよ。きっと」
「え?」
「犯人よ、犯人。盗もうとして押し入ったのに、全くお金がなかったから……。家は立派だったからからね。旦那が社長してた時に買った家だから」
「なるほど……」
 そう言いながらも、それはないだろうと土橋は思った。滝沢は背後から刺されていた。争った形跡もなかった。強盗とは思えない。しかし顔には出さなかった。
「あなた暑くないの?ジャケット脱いだら?」
「いえいえ、お構いなく。その後、その奥さんと娘さんは?」
「家を売ってどこかに行っちゃったわよ。でも奥さんは若くて綺麗だったから、今頃は結婚して元気でやってるんじゃないかしら」
 その言葉に若さへの嫉妬が見て取れた。女は少しも母子に同情はしていない。
 土橋は礼を言ってその家を後にした。
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