二章 4

文字数 1,958文字

 奈々はまず昨日徳田と会っていた生徒から話を聞くことにした。
「相田真紀。商学部、四年生。この時間は『マーケティング論』を履修している。四年生なのに沢山履修してるのね」
 通常四年生は三年生までに単位をある程度まで取っておくものだ。そして就職活動に専念する。しかし相田真紀は就職を決めているものの、単位は明らかに足りていない。一、二年でサボり過ぎたに違いない。足りない単位を取るために、授業を毎日受ける必要があるのだろう。徳田にとっては格好の標的だ。
 『マーケティング論』は『習学館』の3Aで行われている。『習学館』は大人数用の校舎だ。アルファベットのCの様な形をした三階建ての建物で、各階に三教室。一教室の収容人数は約二○○名。
 教室に入ると、かなり空席が目立つ。教授は気にした様子もなく、小声で授業を進めている。教壇にはマイクが置かれているが、マイクを通しても声は小さく、一番後ろにいるとよく聞こえなかった。
 相田真紀は最後尾の右角に一人で座っていた。髪は金髪に近い茶色で、メイクも濃い。どこまでファンデーションを塗りたくるのか、と疑問に思うほどだ。さらにチークが頬をピンク色に染め、唇は薄い赤色。さらにグロスでキラキラと光っている。――よくこれで就職が決まったな。奈々はそう思った。
「ま、面接の時は黒髪のナチュラルメイクだったんでしょうけど」
 思わず呟いてしまった。真紀が少しこちらを見た。内容までは聞こえていないだろうが、こんな静かな教室だ。何か言ったことは聞こえたのだろう。
 奈々は真紀の隣に座った。真紀が怪訝な顔を向けてくる。それはそうだろう。空席はいくらでもあるのだ。
「徳田教授のことで聞きたいことがあるんですけど」
 真紀の顔が露骨に歪んだ。恐らく警察にも散々聞かれたのだろう。
 奈々は嫌がる真紀を強引に外に連れ出した。
「なに?」
「何で身体を売ったの?」
「な!」
 厚い化粧でも隠せないほどに真紀の顔が赤くなる。
「気持ち悪くない?」
「うるさい!あんたなんかに何が解るの!」
「解んないよ。解んないから聞いてるの」
「しょうがないじゃない。不景気だし、やっと就職決まったのに」
「しょうがない……か」
「何よ?」
「ううん。何でもない。でもそれで卒業できたとして、今後の人生あなたは胸を張って生きられるの?」
「あなたみたいな人には解らないわよ」
「だから、解らないって言ってるじゃない」
「あなたみたいに恵まれた人には解らないわよ!」
 どうやら真紀は奈々のことを知っているようだ。奈々は昨年のミス堂明大だ。知っていても不思議はない。しかし、それは表面的なこと。外側だけを見て恵まれているなんて言われるのは心外だ。自慢ではないが、奈々は自分が不幸だという自信がある。それを表に出していないだけだ。
「だから徳田を殺したの?」
「殺してないわよ!」
 奈々は真紀をじっと見つめる。その迫力に気圧されたのか、真紀は目を反らした。
 奈々の印象では真紀はシロ。女は嘘をついていたら、むしろ目は反らさない。女の勘がそう言っていた。
「警察は何て?」
「昨日、教授の部屋で何をしていたのかを聞かれたわ。授業で解らないことを聞いただけだって答えた」
「ストリップやセックスのことは聞かれなかったの?」
 奈々のストレートな言い方に驚いたのだろうか。真紀は逡巡し、ゆっくりと頷いた。
「犯人に心当たりは?」
「解らない……」
「犯人はあなたが帰って少ししてから現れている。怪しい人を見かけなかった?」
「そう言えば、あの後『全教館』の外で男の人が電話しているのを見たわ。その男はあたしの前に部屋にいた人」
 『全教館』は教授室がある建物のことだ。土橋は部屋を出た後もずっとその前に居たようだ。
「何話してたの?」
「解んない。遠かったし」
「何時くらい?」
「あたしが外に出てすぐだから、多分七時くらい」
「あなた部屋に何分くらい居たの?」
「三、四○分だと思う」
「だとすると、その間その男は外に居たってこと?」
「知らないわよ、そんなこと」
「そうよね。解ったわ。ありがとう」
 奈々はそう言ってきびすを返した。真紀は慌てた。奈々は一体何のために来たのだろうか。最初は脅迫されるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「待ってよ」
「なに?」
 奈々は振り向かずに言った。
「何であなた、あのこと知ってるの?警察も知らなかったのに」
「誰にも知られたくないことは、いつか誰かに知られちゃうものよ」
 奈々は言いながら歩き始めていた。真紀はもう何も言ってこなかった。
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