一章 7

文字数 1,901文字

 教授室の扉をノックし、土橋は返事を待たずに扉を開けた。
 意識してやったことだが、効果はあった。
 突然開け放たれ、驚いたのだろう。徳田は酷く慌てた様子でガタガタと音を立て、引出しに何かを仕舞い始めた。隠したところで、それが何であるかは解っている。
 徳田は怪しんでいるようだ。土橋は安心させるために軽い口調で言った。
「いやー、涼しいですね?この部屋。えっと、徳田教授ですね?」
「あなたは?」
「私はこういう者です」
 男は名刺を机に置いた。
「土橋建……」
「私はこの地域の未解決事件を調べています」
 そう言って土橋は笑顔を見せた。厳つい顔の自分が笑えば、対象者は急速に警戒を解いてくれることを知っている。今回もその例に漏れず、徳田の強張った表情は少し和らいだ。
「未解決事件?何だね?それは」
「ご存じありませんか?」
「さあ、知らんなあ」
 余裕が生まれてきたのだろうか。徳田は椅子に凭れ掛かり、顎を上げて見下すような態度を見せた。そして細い目をさらに細めて、土橋を見つめている。
 恐らく本人は睨んでいるつもりなのだろう。必死に威厳を出そうとしているのだ。恐らく学生達にもそんな目を向けているのではないだろうか。
「滝沢誠さんって方、ご存知ですよね?」
 徳田の表情が急に曇り、あっさりと余裕が消えた。――忙しい人だ。
「ご存知じゃなかったですか?」
「大学の先輩だ」徳田は憮然として言った。
「一○年前に亡くなったことは?」
「知ってる!それがどうした」
「滝沢さんはどんな方でした?」
「……」
「徳田さんが言ったことは誰にも言いませんので、是非」
「故人を悪く言うのは気が引けるが……」
「はい」
「傲慢な男だった。周りには高圧的で口が悪い。事件の当日も自分勝手に俺を呼び出しおった」
「現場に行ったんですか!」
「行くわけがないだろう。俺は忙しいんだ!あいつは自分以外の者はみんな暇で馬鹿だと思っとるんだ」
「みんなというのはあなたのことですか?」
 徳田の顔が見る見るうちに赤くなった。――おまけに解りやすい。
「では敵も多かったということでしょうか?」
「一人や二人ではないだろうな」
「犯人に心当たりは?」
「そんなものはない。ただ……」
「ただ?」
「警察は奥さんが一番怪しいと思っていたようだ」
「奥さんは滝沢さんが殺された時、家にいなかったのでは?」
「ああ、奥さんにはアリバイがあった。でも動機は彼女が一番あった」
「動機?」
「滝沢の死後、多額の生命保険が奥さんに入った。それに奥さんは滝沢から暴力を受けていたらしい。殺す動機にはぴったりだ」
「でも奥さんにはアリバイがあった」
 土橋の言に徳田は頷いた。
「その後奥さんはどこに?」
「娘と一緒に姿をくらませてしまった。警察もそれは怪しいってことで探したらしいが、見つからなかった。証拠もないので指名手配もできない。結局事件は迷宮入りだ」
「奥さんがどこにいったか心当たりはないですか?どんな些細なことでもいいですから」
「そんなものはない!」
 土橋は徳田の動揺を見て取った。
――やはり。
「徳田教授、こんな噂を耳にしましてね。滝沢さんの奥さん――綾子さん――には愛人がいたらしいんですよ」
「ほ、ほう。それは初耳だ」
 徳田の目は忙しなく左右に動いた。
「奥さんは若くてとても綺麗だったらしいですね?」
「た、確かに綺麗な女性だった」
「もう一回聞きますけど、奥さんの行方に心当たりはないですか?噂くらい聞いたことあるでしょう」
「な、名古屋にいるって……噂を、そう、噂を聞いた」
「思い出していただいて、ありがとうございます」 
 土橋は詳しい住所を徳田に書かせた。土橋はそれをジャケットの内ポケットに仕舞った。
その時、教授室の扉がノックされた。
「すまないが、土橋さん。生徒から相談があると言われているんだ」
「長々と失礼しました。では私はこれで」
 土橋が後ろを向くと、徳田が息を吐く音が聞こえた。振り返ると徳田は肩をびくっとさせた。
「なんだね!」
「ああ、そうそう。聞き忘れたことがありました」
「何だ!早くしてくれ」
「娘さん――結衣ちゃん――に会ったことは?」
「ない!」
 
 土橋が扉を開けると、女子大生が伏し目がちにこちらを見ていた。土橋はその目に怯えの色を見て取った。この教授の性癖はまだ治っていない。離婚されても、まだ懲りていなかったらしい。
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