五章 12

文字数 1,346文字

「東雲くんはどうしたの?」
「ちょっと旅に出てしまいまして」
 明は笑顔を作った。まだ明自身、東雲の死を受け入れられずにいた。事実を語れば絵里子にそれを説明しなくてはならない。今の明にとってそれはとても辛い作業だった。絵里子には嘘を吐くしかなかった。
 この日、絵里子は忙しいということで、時間を作ってもらうのに苦労した。彼女の店の待合室でかなりの時間待たされて、ようやく会えたのは一七時を過ぎてからだった。
「あなたも東雲くんとはタイプが違うけど、なかなか可愛いわね」
「あ、ありがとうございます」
「で、なんなの?東雲くんの友達だって言うから時間を作ったのよ?」
「ナイフ……」
「は?」
「徳田さんを殺した犯人にはナイフに異常なこだわりがあります。何か心当たりはありませんか?」
「私にあるわけないでしょう?」
 絵里子の反応には違和感があった。「知っているけど、知らない」そんな反応に思えた。
「では滝沢誠さんを殺した犯人はどうですか?彼もナイフで刺されている」
「あの事件まだ犯人は捕まっていないのよね?」
「はい。何かご存じなんですか?」
「ご存じってわけじゃないけど……。最初、殺したのは徳田なんじゃないかって思ったのよ」
「それはどうして?」
「徳田にはナイフ集めの趣味もあったのよ。よく如何わしい店で買っていたわ。書斎の壁にはナイフが一杯飾ってあったもの」
「本当ですか!」
「ええ。金で買った女をそのナイフで虐めるのが好きだったらしいわ。本当に吐き気がする」
「もしかして滝沢さんの奥さんにも?」
「そんなこと知らないわよ。でも可能性はあると思う」
「警察にはそのこと話したんですか?」
「言えるわけないでしょ?そんな変態が旦那なんて世の中に知られたら、私の夢は台無しになっていたわよ。浮気のネタだけで離婚には十分だったし」
 絵里子は離婚後にエステティックサロンを起業している。変なイメージが付くことを恐れたのだろう。
「私が言わなくても徳田は一度、警察に取り調べを受けていたわよ。でも事件当日はアリバイがあったみたい」
「警察はなぜ徳田さんが怪しいと思ったんでしょう?」
「確か、犯行に使われたナイフは徳田が買ったものと同じ種類だったらしいのよ。でも徳田はそのナイフをどこかで無くしてしまったらしいの。多分、趣味の後で忘れてきたんでしょうけど」
 絵里子は軽蔑したような顔を見せた。心底徳田を嫌っているようだ。彼女はかつて徳田を愛していたからこそ結婚したのだろうが、その気持ちは正反対の方向にベクトルが向いてしまったようだ。
「どこで無くしたかは思い出せないっていう主張が怪しさ満点でしょ?かなり激しく追求されたみたいよ。でも言えるわけないわよね、買春してプレイでそれを使ってたなんて――。帰ってきた時は抜け殻みたいになってたわ。余程応えたんでしょうね。大好きだったナイフも全部処分してたわよ」
 その時の徳田の姿を思い出しているのだろうか、絵里子は嬉しそうだった。
 徳田の愚痴が始まりそうだったので、明は最後の質問をした。
「滝沢さんの奥さんに会ったことは?」
「ないわよ。会いたくないもの」
 
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