二章 7

文字数 1,519文字

 ――落ちた。二日かかったがようやく落ちた。
 東雲は確信した。今、目の前の女は警戒心を完全に解いた。 五〇代には見えない程若々しく、スタイルも良い。自信があるのだろう。デコルテが広く見えるカシュクールのワンピース。パステルカラーのカラフルな柄のそれは、ファッションに詳しくない東雲でも知っている高級ブランドだ。
「で?何が聞きたいの。本当にあなたの粘り強さにはびっくりよ」
「絵里子さん、ありがとう」
 そう言って東雲は微笑んで見せた。絵里子は女の顔になっている。東雲に興味を示したことは間違いない。彼女には財力がある。それを使えば若い男など、どうにでもなると思っているのだろう。さりげなく自分の指に光るダイヤモンドをアピールしてくる。
 絵里子は離婚による財産分与と慰謝料によって得た金を使って、エステティックサロンを起業した。専業主婦をしていた頃、夫に内緒でエステティシャンの資格を取得した。そう。絵里子にとっては計算ずくの離婚だったのだ。絵里子は夫の変態行為を知りながら黙っていた。そして最高のタイミングでそのカードを切った。その結果、現在サロンを五軒経営するやり手社長になった。
「土橋という人をご存じですか?」
「ああ、フリーライターの?」
 東雲は頷いた。
「知ってるわよ。徳田のことを色々と聞いていったわ。特にあの人の趣味には興味を持っていたわね」
 そう言って絵里子は東雲に土橋の名刺を渡した。裏返すと手書きで携帯電話の番号が書いてあった。
「滝沢さんの奥さんと愛人関係にあったとか?」
「ええ、忌々しい」
「でも絵里子さんも魅力的だ。愛人くらいいたでしょ?」
「さあ、どうかしら」
 絵里子は挑戦的な目つきで胸元を強調してくる。――俺はそんなに飢えているように見えるのだろうか。
「でも不思議ですね」
「何が?」
「徳田さんの趣味だと娘さんの方に興味を示すと思ったのですが……」
「さすがね。東雲君」
「というと?」
「奥さんは繋ぎよ。本命は娘の方」
 絵里子は吐き捨てるように言って、そして続けた。
「あの時奥さんはお金に困っていたから……。逆に徳田はその頃、金だけはあったからね」
「なるほど……、でも事件後、奥さんと娘さんは行方不明になったとか」
「ええ、それ以降のことは知らないわ」
「なるほど……。そういえば最近何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと?」
「教授に関することならどんなことでも結構です」
「そういえば……、電話があったわ」
「電話?」
「五軒目のサロンを駅前に出店した直後だったわ。二週間くらい前だったかしら。昔の教え子だと言っていたわ。名前は言わなかった。徳田は今どこで働いているか聞いてきて、堂明大学だと答えると驚いていたわ」
「驚いていた?」
「“そんな近くにいるとは思いませんでした”って」
「近く……。男でしたか?」
「いえ、女の声だったわ」
――女?
「ありがとうございました。大変助かりました」
 東雲はさりげなく土橋の名刺をポケットに入れた。絵里子は東雲の目をじっと見つめていたので、気が付いていないようだった。
「お役に立てたかしら?」
「はい。とても」
 東雲は立ち上がった。そして絵里子の耳元に顔を近づけた。
「これっきりになるのは寂しいので、また会えませんか?」
「しょうがない子ね。いつでもいらっしゃい」
 顔を赤くしながら絵里子は自分の名刺を渡した。そこには本社の電話番号の他に、携帯電話の番号も書かれていた。東雲は名刺を受け取る際、さりげなく手を握った。
 
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