文字数 1,293文字

 池上は家族の誰とも話さずに、3ヶ月を過ごした。夏の間は、ひんやりしたコンクリートの床と風が抜ける小屋は、案外過ごしやすかったが、猛暑となる日には、死ぬような思いもした。たまに母親が様子を見にきたが、軽く見つめて、何も言わないでいた。父親は小屋に近づくことはなく、弟も寮生活で家に帰ってきても、小屋に近づくことはなかった。祖父はなにやら遠くからこっちを見ていることもあったが、諦めたようにその場から立ち去り、祖母は入院しているので会うこともなかったし、生きているのか死んでいるのかわからなかった。夏の間、昼間は小屋で過ごし、夜は外に出かけた。山から吹き降ろすひんやりした風に吹かれたり、真っ暗な谷から聞こえるせせらぎを聞いたり、まだ熱をもつ地面に座り込んで、夏の夜空を眺めたりしていた。そこで池上は野良猫を見かけた。白とキジ柄、丸い顔をして、池上を見ると飛んで逃げた。一人で野を駆ける、逃げるような去り際に、追いかける人の顔をじっと見る。表情は強張っていて、何かに恐れているようだ。
 「あれは自分だ。」
池上は世界を恐れ、逃げる姿に、自分を見た。野良猫は世界に馴染もうとしない。世界は野良猫を歓迎もしない、しかし、拒否もしてない。だとすれば、野良猫は馴染もうとすれば、世界とつながることができる。これは、そのまま自分に当てはまる。よくよく考えたら、自分は拒否なんかされていない。両親は、距離を保ちながらだけど、家に受け入れた。消費者団も受け入れてくれていた。だが、自分がいつも戸惑っている。どうやって馴染めばいいかわからなくなっていた。それに、何か世界に馴染むには許可書のようなものがあり、それを自分が持っていないようにずっと感じていた。だが、許可書なんて最初からないのは知っていたし、ただ、自分が恐れて逃げているだけだった。
 池上は暗い夜道、野良猫と対峙しながら、何か大きな切っ掛けを見つけたような気がしていた。もし、この切っ掛けさえも逃げたのなら、自分は、あの木の牢屋で狂い死ぬしか未来がない。もしくは、また、同じようにバス停で乗るべきバスを見送り続けるような、全く前進のない生活に、自らを閉じ込めてしまうだろう。
池上は野良猫相手に勝手に決めた。あの境遇が似た生き物と友達になろう。一緒に住もう。それが出来たなら、世界という集団の入り口に立つことができる。消費し続けるだけの存在から抜けることが出来る。大人になれる。
 その日から、池上は野良猫に「ワールド郎」と呼びにくい名前を一方的に付け、ワールド郎を捕獲し、飼うと決めた。自分の似たような存在、ひとりぼっちの池上は、人間でなくてもいいから仲間が欲しかったのだ。一人で生きていけると思っていたが、世界と繋がろうと思ったら、まずは誰かそばにいて欲しい。例えば、いくら経済のことをいくら勉強したって、一人の世界で終わらせては意味がない。自分の発信したことが、誰かに伝わらないと、自分がいないことになる。だが、いきなり人と仲良くなることは出来そうにない。だから、自分が何とか出来そうな、野良猫のワールド郎を仲間にすることから、やり直すのだ。
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