3-8政治家の心得

文字数 1,708文字

 「選挙で大事なのは、細かく回ることだよ。で、目を見て握手をする。これが基本。で、当選三回目ぐらいになると、いろいろ解ってくる。たとえば高齢者の女性と握手する際はゆっくりと手を握るとか、相手の手の温度が思った以上に冷たくても、それを顔に出さず、しかし、相手を心配する演技も入れる。一期一会だよ、第一印象でいい人と思ってもらうことだ。そうすれば一票が確実になる。まあ、お金配るのが間違い無いんだけど、何かあった時は、お金を配らずに得た信用、好印象の方が良いんだよ。「そんなことするような人じゃ無い!」ってクリーンな評価が必要な時もあるんだ。お金だと、後ろめたさから一票を獲得できるけど、何かあった時に「お金」が「こんな金」になるからね。悪い連帯感を持たせたら、貰っているクセに、いや、そのやましさが、手のひらを返して、攻撃の先鋒に変わる事があるんだ。まるで自分を正当化するためにね。これは厄介なんだ。」
 神奈川二区の小太りの藤江議員が柔和な顔で距離を詰めてマネーマンの目を見て語りかける。こうやって親密に話しかけられると、確かに嫌う事ができなくなる。駄目押しに握手までされると、相手の体温が伝わり、何か、認めないといけないような気になる。マネーマンはすっかり人心掌握された。もし、自分がこういったやり方を心得ていたならば、会社から追い出されるということは無かっただろう。
 「柄澤くん、地元での選挙になるけど、選挙になると、これまでの人間関係が需要にもなってくる。近所の人たちやら、小学校の時の同級生なんかにも挨拶しておいたほうがいいよ。知った人間は普通、応援しそうだが、違うんだ。過去に知った人間を、今も知った人間にしないと、票をくれない。たかだか近所の数十票かもしれないが、確実に取れるものは取らなきゃダメだ。念入りに評価を高めないとね。我々は表のためなら土下座だって、靴舐めだってなんでもする。いや、それが出来なきゃ、勝てないし、基盤が作れない。這いつくばってでも、評価を得なくてはならない。」
 マネーマンは評価とは、何かができる能力に宿るものだと思っていたが、政治の世界では、能力なんて関係ない。まやかしの評価を集めて、権力を持つことが大事なのだということが理解できた。薄汚い考えだと言えなくもないが、それは権威というものに対しての事実である。世の中の権威というものは、中身は無いが、周りが大事にしてくれて成り立っている。
 王様はいつだって裸だったのだ。
 「ところで、藤江議員も今年の選挙に出るんですか?」
 「ん?言ってる意味がわからないけど?」
 「藤江先生は参議院議員ですよね?」
 「そうだよ・・もしかして、ルール知らないの?」
 ここでマネーマンは藤江議員が少し笑ったのを見逃さなかった。明らかに馬鹿にされた。
 「そうか、そうだよね。知らないよね。こんなこと説明するのは私ぐらいだから、しっかり覚えておいてくださいね。参議院は任期は6年で3年ごとに半分ずつ入れ替わるんだ。これを改選って言うんだけど、それを知らなかった?」
 人を試すような半笑いの嫌な言い方だった。藤江議員が明らかにマネーマンに対してマウントを取ってきた。イラッとしたが、こういった人物は反抗すると集団で排除にかかることは目に見えていたので、ぐっと我慢する。
 「はい、知りませんでした。ありがとうございます。前回の選挙で当選されたんですね。だとしたら、神奈川県の定数は八人ですから、今回は四人が当選ということですね。」
 「そうそう、そういうこと。いや、びっくりしたよ。素人が選挙でるってこういうことなんだね。拳銃持たずに戦争に行くような感じなんだね。いや、すごいね。度胸は。知らないと言うことは、本当に怖いもの知らずになれるんだね。いや、参考になったよ。しかし、戦いは情報を持ち得たものが勝つからね。知らないと意味のないことに終始して、負けるんだよ。知識は力だからね。」
 マネーマンはしつこく勝ち誇ったかのように説明する藤江議員にイライラしたが、ここで騒ぐと負けることは理解していた。身内は信用できないが、使えるうちは信用をさせる必要はある。
 
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