文字数 1,469文字

 池上は、これまでの一人暮らしを止めて実家に帰った。実家は山奥にあり、コンビニすら歩いていけないところだった。古くからの米農家で、3町の田んぼを所有し、近所の農家の所有する田んぼもお金を貰って耕し、補助金も色々もらっていたようで、せっかく合格した国立大学もあまり通うことなく、出席日数不足で進級もギリギリだったが、せっせと学費を払い、卒業した今でも仕送りさえしてくれた。池上の父は、大学まで出て、何もせずに家に引きこもる息子がいると格好が悪いと思って、厄介払いもあって、外に出していた。池上の弟は勉強はできなかったが、農業高校に行き、農家を継ぐ気満々だった。池上の父は、あとは長男が何処かに所属してくれれば、自分のターンは済んだと思いたい五十前の普通の中年だった。池上の母は、自然と身近な環境で暮らしたいと考えて、都市から嫁いだ年上の女房だったが、田舎暮らしの退屈さ、息苦しさに辟易し、せめて長男は田舎暮らしから脱出させ、頭は良いので何かで成功するだろうから、タイミングを見て離婚し、息子の世話になりたいと密かに望んでいた。
 池上は生活保護も、親からの支援も、無駄に受けてはならないと決めて、人生をやり直す覚悟で家に電話を入れる。
 「母さん、僕は、こないだの事件もあったし、一度家に帰ろうと思っている。このまま働きもせず、支援を受けるのは、やっぱり良くない。家の手伝いもするから、帰るよ。」
 「・・・そう、でもね、お父さんはね、反対すると思うの、それにね、あなたの人生よ。あなたはやればできる子だから、こんな田舎に引っ込んで、百姓することはないと思うの。今更できないと思うし、母さんは反対だな。あと、私に言わないで、直接お父さんに電話しなさい。この家はお父さんの家、いや、おじいちゃんの家になるから、とにかく、私に言わないで。私は他所から来たんだから。勝手に決めると怒られるの。」
 池上は、このように家から逃げる母が嫌いだった。どうせそういう答えになるだろうと予期していたが、もしかしたら、母親として手助けがあるかもしれないと期待したが、やはり、母は、田舎の家で部外者を一生通すのだろう。池上は母の往生際の悪い様、田舎、農家に染まろうとしない悪あがきが大嫌いだった。あのワザとらしい高笑いで「私は、そういうの、小さな頃からやったことないから、無理だわ、ほんとに、すごいですね。」なんて具合にへりくだりながら農家の嫁の仕事から逃げる様を小さな頃から散々見ていたので、やはりここでも逃げたかとガッカリした。自分も気が小さいのもあるが、コミュニティーに溶け込まないのは、目の前の生活から逃げるのは、あの母親を見て育ったからではないかと落胆することが何度もあった。仕方がないので、池上は父親に電話する。
 「・・・で、いつだ。いつ帰ってくる?こっちも受け入れの準備がいるからな。いろいろやっとくから、1ヶ月待て。その間にお前は役所とかのことを済ませておけ。」
 案外父親はすんなりと受け入れた。池上はそれを一旦は好意的に受け取ったが、1ヶ月の準備期間とはなんだろう?疑念は残るが、言われた通りに役所に手続きを済ましていく。住民票の移動ぐらいで、あとはアパートの解約だが、ここで1ヶ月の意味を理解した。賃貸住宅はすぐには出れない。家賃もあるので、1ヶ月かかるのだ。経済の勉強をしてきたが、世間の営み、商習慣などは知らないことが多いことに気がついた。自分は知ったつもりで、案外何も知らないのだろう。池上はそういったことを飲み込める素直さが身についていた。
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