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 コンパネで作った壁からは木の匂いがして、床はコンクリートむき出し。一応、軒下に立っており、その上に屋根も付いている。机と畳ベッドが据え付けてある。足元に小窓がついており、目線の窓は木の庇がついており、外から中が見えない。3畳ほどの広さ、ご飯は母親が部屋の前に置いてくれる。流石にトイレは部屋の中にないが、家の中のトイレは使わないルールで、家の外にある古い厠を利用する。風呂も外の古い風呂が宛てがわれた。一度家を出た立場だから文句は言えないのかもしれないし、言いたくもないが、これではソフトな囚人である。いや、建物からすると家畜のようだ。家のそばの豚小屋みたいなものだ。
 「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障、及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
 ここにそんなものがあるのだろうか?とは言え、今は生活保護をもらってない。国の負担になっていないというのは、心の底にあった負い目の部分を和らげた。負い目があるから斜めから世界を見ているところが池上にはあったが、それは、ずいぶんと和らいだ。生活保護をもらっていると、何か、日本に生きているのが申し訳ないという気がしてきて、誰よりも自分が下にいるという情けない思いと、それを無理して無視して、言い訳する心苦しさがいつもあったが、それは晴れていた。自分は二年間それに染まっていたが、死んでいった消費者団の仲間たちは十年とか平気でそれを続けていた。あまり長くそこに身を置くと、良心は腐り、根性は曲がり、情けなさが際立ち、生きがいは消える。
 しかし、責めてばかりも言えないのではないか?もしかしたら、水が下流に流れるように、仕方なく、そこに流れ着いたのかもしれないし、今の生産と消費がアンバランスな経済では経済的な犠牲に陥ってしまうのも仕方がないことだったのかもしれない。
 もしかしたら、世界は誰も幸せになれない仕組みになっていて、たまたま、それが労働が伴うか伴わないか、持ってる金が多いか少ないかで、生活苦が多少変わるだけで、根本は、皆、不幸なのではないか?これは、持っている立場になってないからわからないが、二十五歳の池上にとっては、経験がないので、答えが出ない。しかし、経験がないだけフィルターがかからないから、真実を覗くことができるところにいる可能性もある。
 池上は狭い木組みの牢屋の中で数々の疑問を考える。本を読むこともできたし、夜中に散歩することも許されていた。真っ暗な田舎道を歩きながら、ひんやりした空気を楽しみ、見上げた空に満点の星を眺める。消費や生産などと関わりがないところで、必要最低限の消費活動をし、過剰なものが一切無い生活を質素に行なっている。木組みの小屋に閉じ込められていることは不自然かもしれないが、しかし、こうやって誰かに、監視され、何かに閉じ込められ、誰かに申し訳ない思いをしながら、世間を恐れて生活してきたのは、これまでずっとだったし、それが分かりやすく、ミニマムな状態で再現されており、そうなると、いらぬ心配が減り、考え事は深くできる。人間らしい生活とは言えないかもしれないが、そもそも人間らしい生活がどこにあるんだろう?金と物、生産と消費が根底にある世界で、優良でないと、たちまち隅に弾き飛ばされるのだ。かつての仲間たちのように。
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