文字数 1,352文字

 バスを乗り継ぎ山奥へ、木々は空を覆い、鳥がさえずっている。覚えある山道は空気がひんやりとして、椎木の匂いが奥からする。土と草が存在する。それ以外は何もない。久しぶりの実家、古い大きな農家、納屋だって、町の家より大きい。大きな立派な梁が伸びている。田植機が軒先にしまってある。泥は洗い流され、今月末にはカバーをかけられるだろう。その奥に真新しい板が張られた小屋のようなものが作られていた。農具入れか何かだろうか?いない間に田舎も変化することに少し驚いた。
 「ああ、アキラ、帰ったか。」
 「・・ただいま、父さん。」
 お出迎えは父、池上康弘だった。作業着を来て苗箱を積んでいる。池上とは違い、康弘は太っていなかった。背も大きくなく、どちらかといえば小柄だった。野良仕事で顔は日に焼け、深いシワが刻まれている。だから年齢より老けて見えた。
 池上は父を見て、なぜ、家を出て行ったかを思い出した。農家は食料を作る立派な仕事だが、自然と向き合う人の営みだが、生産物に命を捧げるような仕事なのだが、国からの補助金がないと生活できないのだ。もし、補助金がなければ、コンバインも田植え機も買えない。お米は、あれだけ時間を費やしても、労働の対価となる価格は着かない。生活費を賄えない労働は、果たして意味があるのだろうか?池上は小学校高学年あたりからそれに気がついていた。母親にその話をすると、怪訝な顔をして「お父さんにそんなこと言ったらダメよ。」とだけ言われた。成果物の利益だけでは生活できない、補助金付きの仕事。それは伝統文化か何かだろうか?全身全霊打ち込んだところで、補助輪つけなきゃ立ってられない自転車。生活保護の辛い版みたいだけど、誰もそれを言わず「農家は立派だね。」「おかげで美味しいお米が食べられる。」などと本心ではない、気が抜けた、どうでもいい、慰みにもならない言葉をかける。池上は農家に育ち、中途半端に勉強し、世間のそういった声を聞き、密かに世間を信用できなくなった。お米は、確かに誰かが食べているけど、余っている。そこまでいらない。じゃあ、いる分だけ作ると、米にまともな値段がつかないから儲かりもしない。しかし、補助金出すからそれなりに安定して続けてください。つまり、農家は社会のメインストリームから外れている。脇役どころか、役が無い。意味が薄い作業に沈められた父の人生と、補助金で育った自分。池上は押し込められた役目に屈辱を感じて育ってしまった。しかも、それを認めたくないから、逃げたのだ。家に帰ることで、それを思い出し、思い知った。
 「アキラ、お前のねぐらは用意した。あそこに入っておけ。それと、ずっとここで生活する気はないだろうから、あれだ、誰にも見られないようにしろ。まあ、あんまり人が来ないから気にすることはないが、お前も嫌だろう?人に見られて、いろいろ言われるのは。俺はなあ、優しいんだ。ありがたく思え。」
 真新しい小屋は、自分に用意された牢屋ということが分かった。康弘は自分を恥と思っている。厄介者と思っている。それは農業に寄り付かなかった報いなのだろう。池上はそうやって自分の立場を理解した。もし、こじらせて長くいると、消費者団の事件を自分が起こすことになるだろう。というところまで考えた。
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