16

文字数 1,358文字

 池上は猫好きの善人のニートという同情キャラクターでこのまま行くか考えていたが、世の評価に沿う方が楽だろうと考えてみたが、やはり何か、そのうち自分が世間からの評価によって歪められる、閉じ込められるような気がして、底知れぬ恐怖を感じた。そんなものは望んでいない。だが、同時に、じゃあ、自分は一体、なんだろう?とも考える。自分というのは世間の評価があって、初めて存在することができる。これまでは、世間の評価もなかったから、誰にも知られず、消費者団で集まって、生活保護をせしめる相談をしていた。つまり、世間的には存在しないことになっていたのだ。あの、誰にも相手にされない、たった一人、しかし、悪く目立ってはダメ、従順でいて、何も作らない、優良消費者の孤独に戻ることなんて考えたくもない。あの孤独に捕まったら、静かに終わるか、突然終わるか、とにかく終わりしかないからだ。
 それに、今後は評価経済社会になっていくのは間違いないだろう。っていうか、今までも評価経済社会だったのだ。誰かに評価されるから存在できる。価値は誰かの評価で決まる。これは、当たり前のことのように感じられる。それが目立ってきただけの話ではないだろうか?ただ、改めて口に出すのは恐ろしいことだし、それを行なった岡田斗司夫はすごい人物だ。ここで、池上はハッとする。自分だって、人を評価して判断しているのだ。どっぷり浸かっていて、それはよそ事のように嫌だというのは、現実が見えてない子供と同じことである。
 とりあえず、池上はワールド郎に餌をあげる動画を作り出した。別に好きではないが、しないといけない事。池上は働いたことがないが、まさしく仕事に向かう様相だった。楽しさもないし、思い入れも無くなった動画となった。完成度は相変わらず高いのだが、見ている人は、無意識に気がついてしまう。作品とは熱意がないとゴミである。邪魔で仕方がないものにすっかり変わってしまう。池上は誤魔化せると思っていたが、視聴回数がガクンと落ちた。コメントも「なんだこいつ、働きもせずに猫の世話か。」と敵意に満ちたものが増えてきた。しかし「にわかは黙ってろ、初めから見たら、この動画の真価がわかる。」と根強いファンの贔屓コメントもあった。池上は自分がいかに危険なところに足を突っ込んだか理解した。
 もし、一定の人気を保とうとするのならば、常に情熱を持って、必死に、無我夢中にやらないといけない。これは大海原を一人で泳いでいるのと同じだ。休むと死ぬのである。もしくは延々と続く坂道を自転車で登っているのと同じだ。止まると転ぶし、落ちていく。池上はワールド郎と一緒に太平洋に裸で飛び出ようとは、どうしても思えなかった。評価経済とは、評価に身を捧げ、自分でない評価で作られた自分になりきり、それに必死で応えていくことなのだ。
 もともとそんな性質で、キャラ作りする事なく、生まれてそのまま、自分を出し切って、何も悩まず、必死になれる人は大成功を収めるだろうけど、そんな人でさえ、成功した後、評価で作られた自分に、本来の自分がすっかり飲み込まれたことにさえ気がつかないことになっているだろう。つまり、本来の自分を周りの評価で作られた自分で、必死になって殺すのだ。池上は、それほど強くないと自覚していた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み