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文字数 1,398文字

 池上にとって、動画サイトでの収入は死活問題の金ではなく、棚から牡丹餅的な幸運だったので、視聴回数が減ったことによる収入源に関してはあまり気にならなかった。また、何か動画を出せば良いだけだ。やり方は分かっているし、チャンネル登録者も三十万人、地方都市の人口ぐらいいるのだ。支持してくれているファンがいれば、なんとかなるだろう。そう思って、気になっている金融商品の国際間での自由化について分かりやすく解説した動画を作成し、危機を訴えてみたが、視聴回数は伸びず、コメントも無いか「ワールド郎はどうした?逃げたの?」「猫に小判ってこと?」などと戸惑いや否定的なコメントが上がってきた。池上は勝手に「猫と触れ合う人」とキャラクター付けされたのだ。キャラ付けされると、キャラを期待され、それ以外は無視されるか、否定される。ワールド郎のことは好きだが、二十四時間ワールド郎につきまとってる訳でないし、ワールド郎と仲良くなった今、もう、動画の必要は無くなった。
 池上は、世間からキャラを押し付けられるという恐怖を感じた。むりやり観光名所のお土産屋の主人に縛り付けられたような、他のことをしてはならないという、息苦しさを感じた。この点にかんしては岡田斗司夫の評価経済社会に書いてある通りだった。キャラを持つことの重要性と、キャラを使い分ける重要性が説いてあった。
 ワールド郎を追いかけるニートという役が要望されている。これはなんだろう?池上は考える。まず、動物好きである、この点は好ましい人物となるだろう。それに昼から猫だけ相手にしているニート、この点に関してはダメな人であり、孤独であるというマイナス面が見えてくる。つまり、一般の人より気の毒な人間なのだ。悪い人でないのに、ついていない弱者。こういった人をみると、自分より下がいると思い、人は寛容になるのだろう。自分より弱い人に優しさを向けることは、自分を良い人だと評価できる。もし、悪い人を評価したら、自分も悪い側についてしまう。良い側に誰しもいたい。善人でありたいというのはあるが、その自分が善人であるために、自分より少し不幸なお人好しを探してしまうあたりに、人間の浅ましさのようなものを感じてしまう。コメントや評価だって、これは乞食に対する投げ銭みたいなものだ。憐れみが溢れているし、憐れむことによって、自分はまだマシだと言い聞かせているような気もする。
 ただ、これは、そういった同情キャラクターであって、何か特技がある人に対しては、また違った評価が集まるのだろう。それは権威に対するお布施になるだろう。こういった評価は非常に苦手だ。宗教的で危険である。なにせ、正しいことが塗り替えられるからだ。まあ、特技を見せている間なら、「ああ、すごい」で済むだろうけど、その特技の持ち主が主観を語り出したら、親衛隊が発生し、独善的な宗教が生まれる。
 同情、権威ときて、次に考えられるのは、同意だろう。口に出せるかどうかの情報、思っていても、なかなか言い出せない、怒られそうな不謹慎な考え、それを口に出してしまう人。やっぱりそうだと、あつまる小心者。同意を利用したスポークスマン、それは詐欺師みたいなものだ。
 評価されるためにキャラを作るということは、とても厄介だ。しかし、電子ネットで評価の判断が瞬時に行われている状況なので、分かりやすいキャラクターは武器になる。
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