文字数 1,319文字

 一月後、十八歳から世話になったアパートを後にする。部屋にあったのは学習机とミニ四駆のコース、そして布団だっだ。家電はほとんど使われることなく、洗濯はアパート一階のコインランドリー、冷蔵庫にはジュースとポン酢、テレビは置いてなかった。池上は家財を家に持ち帰ることなく、ネットオークションですべて販売した。極めていたミニ四駆のコース、車体、ミニ四駆に関するものは、小さな頃からずっと手放してはならないと思ったが、いつかは離れるべきものと思っていたので、このタイミングで離れることにした。あれほど興味深く、コツコツと資料とモノを集めていたが、手元から離れてしまうと、なぜ、執着していたのかが、大きな謎となっていた。ただ、価値があるものが多く、池上は三桁に届く財を得た。このお金は、生活保護から消費したお金がモノに変わって、またお金に戻ったものだ。価値が上がったものもあるので、所有することによって儲けが発生した部分もあるが、根本は生活保護費である。これは返したほうがいいのかと一瞬悩んだが、団長が言ってた憲法二十五条を思い出す。
憲法第二十五条(国民の生存権、国の社会保障的義務)
「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障、及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
消費者団の解釈は、「日本国民なら、腹が減ってはダメ、好きなことしないとダメ、それは国が面倒見てくれる。」ってことだった。やりたいことがあれば、ゴネれば国がなんとかしてくれる。実際そうしている、そう思っている人が山ほどいるが、池上は、そこから出たいと思っている。たぶん、おかしい。生きているだけで価値が認められ、大事にしてもらえる。そんなことはない。絶対にない。これがアリだと、誰も、誰かのためになんて思わないか、奉仕し続ける気の毒な存在が必要となる。奴隷とか生贄になる人がいないと成り立たない。実際、国は技術研修生と称して、奴隷を輸入している。非正規雇用でブラック勤務の死ぬほどの奉仕労働を行い、消しゴムのように消費されている人も多くいる。そんな人たちは、しかし、国に頼ることなく、支えようとしている。一方で、消費することによって、役に立とうと、生活保護を働きもせず、得ている自分がいた。
ただ、池上は、この場合、自分は「悪い奴」と思うことは簡単だが、違うのではと思っている。生産と消費のみの対立で、貨幣の行き来で、金の量で全てが決まるというルールがあるからそうなんだとなっているが、そのルールさえ、すこし離れてみれば、意味不明になってくる。「働かざるもの食うべからず」「誰かの役に立つ」この辺りの良いとされる価値観自体が、何か、呪縛のようで、それにみんなが苦しめられているような気がしてならない。読み返した経済書では、その金を基本としてルールはあるものとして、あとは枝葉の分配方法だけを述べている。もしくは「新しい価値」とかいって、生産物のすげ替えだけを、金が金を生む、金の行き先は投資しかないなど、本質は変わらず、付け焼き刃のアイデアで詰まっている。視点を変えた池上が求めている答えがないのだ。

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