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文字数 1,313文字

 また、池上は岡田斗司夫のシルエットが自分と似ていると思い、親近感を覚えていた。太っている、長髪と言う部分は同じだ。ただ、池上はくっきりとした二重で、眉毛も太く釣り上がり、ねぶた祭りの山車のような顔をしている。岡田は目は細く、柔和な仏のようにあっさりした顔をしている。それに、ユーチューブで経済のことを話していても、儲けに関して執着しない、金欲がないのが心地よかった。いかに、楽して多く儲けようという感じは全くなく、儲けとはあとからついてくるもので、追いかけるものではないというスタンスは好感が持てた。また、話しぶりが理路整然としており無理に自分が正しいと主張する思惑がなかった。推しが弱いのだ。今まで読んだ経済書は、著者の思惑、いかに自分が正しいか、予見できるか、その証拠たるは、といった論説が繰り返されており、実体のない経済をまるで見てきたかのように語る様は、正直言って胡散臭かった。しかし、本の評価が高かかったり、売れていると、自分が理解していない、もしくは嫌っている経済とは、こういったものなのか、と平伏せざる得なかった。
 経済書なんて読後感は胸焼けが残るものばかりなのだ。凝り固まった、正義にしたい作り話を、飲み込ませようとする。ゴリ押しの営業マンスタイルに辟易する。
 評価経済社会では、価値観に影響を与えるメディアの変貌から変化が起きているとあり、インターネットの普及によって、これまでは、一般市民の受け側が一方的な既存のメディアより影響を受けていたが、受ける側が、発信できるようになった。つまり、メディアに権威が無くなってきたのだ。だとすると、テレビ、ラジオ、新聞などのメディアは、一方的な影響を与えて、下手すれば、一般人を洗脳さえ出来ていたことになる。これは捨て置けない恐怖だが、よくよく考えてみれば、洗脳はすでに意識的か、無意識的は別にして、ずっと行われている。これまでに岡田斗司夫は洗脳社会についても素直に論じている。
 池上は、だとすれば、メディアに「消費せよ!」と言う命令によって今まで人は動いていたことになるじゃないか!と恐怖したが、実際、流行の商品、食い物、服なんてものは、メディアで騒がれて流行るものだ。恐怖どころか、メディアの洗脳に皆、ずっぽり浸かっているのだ。
 だが、電子ネットの普及により、メディアに対して「おかしい!」と発信できるようになった。洗脳からの逃げ道が出来たのだ。と思ったが、権威がバラバラになっただけで、やはり影響力を受ける人は大勢いる。洗脳の発信基地が増えただけと思えば、恐怖は減らないし、なにかしら世間に対する嫌悪感は残る。
 しかし、池上に刷り込まれていた「生産が消費を上回って、それを消費しなくてはならない、そういった役目が要る。」という強迫観念は消えた。これは消費者団の団長、茶谷の洗脳だったのだ。しかし、その洗脳は一理あるものであったから、受けざる得ないところもあった。池上は、影響力を与える権威が悪意から発生しないことを厄介だと思い知った。
 とにかく、インターネットの普及で双方向の発信、誰もが与える側になり、誰もが受ける側になるこという構造変化が今、起こっている。
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