文字数 1,390文字

 経済という言葉は曖昧で難解、意味があるようで無いので、エコノミーという言葉から経済を辿ろうとする。エコノミーの意味を問われて、経済と答える人はいるが、それがなんなのかは、皆、曖昧だ。池上は面倒臭がらず、素直に知りたいと思い、エコノミーの意味を調べる。
 :エコノミーの意味=社会が生産活動を調整するシステム:
 これは、確かに思うところがある。エコノミーが消費活動ではなく、生産活動を調整するシステムとなれば、それは生産過剰の恐慌状態を避けるシステムと言える。こうなると、英語圏の外人のほうが日本人より論理的で偉い。ただ、エコノミーには、人のためにどうとかという情緒的な思想は全くなく、ドライで冷たい気もする。日本の経済は、方法ははっきりしないが、民を救うらしい。が、エコノミーには人を救うという考えは全くなく、ただの生産調整弁でしかない。
 ここで池上は経済もエコノミーも、政治ががっつり関わってくることに変わりがないという世界の設定を発見した。言葉からすると、経済は国を治め、民を救い、エコノミーは企業に作りすぎを注意する。どちらもお上の仕事ということになる。そうなると、これまでの経済と政治は別であるという池上自身の考えは、間違いということになる。
 新しい発見である「経済とは政治である」というロジックを飲み込むためには、まず、これまで嫌悪してきた、この世の金権主義、お金を主軸として人を踏みつけるという唾棄すべき悪を受け入れる勇気を持ち、個人の根元的な「自由」であるという幸せを諦める必要がある。
 この先、死ぬか生きるか、後戻りするか前進するかを天秤にかけていけば、生きるべきだし、前進するべきだと池上は思える強かな人間なので、疑問の湧く思想を飲み込むぐらいは簡単なことである。異物感はあるが、そういうものであると三日ぐらい考えていたら、なんとなくだが、「経済は政治である」という思想は池上の中でスタンダードになった。
 思想が変わると、池上の見ている世界がガラリと変わった。生活保護は、これまでは疾しい事と思って、しかし、消費のためという題目のがあるため、少しは世に役に立っているという思い込みでなんとか、掠め取るという考えがあったが、政治がそもそも、生産と消費を調整し、人を救う命題にあるのならば、自分のような現状働くことができない人間は、システム上、受け取って当然と思えるようになった。もし、働けるようになったら、税金を払って、困っている人に回せば良いとさえ思えるようになった。これまでは、お金が目の前で消えたり、出たりしていることのみに捕らわれていたが、お金が巡っていく大きな流れがあって、その流れに自分も関わっているという考えを持つことによって、少し遠くまで見えるようになった気がしていた。
 実のところは、消費者団滅亡の際に、酷い有様、目の前で人が殺される光景を目の当たりにし、その殺人鬼から逃げた記憶がべったりと残っていたので、それを忘れるために、これまでと違った考えが池上には必要だった。
 世界は一人で外から眺めているものではない、世界に自分は生まれた時から巻き込まれているし、どこにいるかさえわかれば、次にすべきことが見えてくる。池上はこれまで読んだ経済書を再び手に取り、お金を集めることに注目するのではなく、お金が流れる様子を思いながら、ゆっくりと読み返した。
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