2-21 ドロー嬢6

文字数 1,804文字

 ドロー嬢がアニメを書き始めたのは小学校入学前。きっかけはディズニーではなく、ジブリでもない。ゲームセンターのポリゴン画面だった。絵なのに立体的で、視点が変わると、裏側も書かれている。画面の中にもう一つの世界がある。これが不思議で面白く、ショッピングモールのゲームコーナーで、ゲームもせずに画面をずっと眺めていた。母親の慶子は望ましくない傾向だと思い、他に注意を向けようとしたが、ドロー嬢は邪魔する慶子の顔を思い切りビンタするほど激情することがあった。旭川夫婦は精神科に診てもらおうかと相談したが、一時的なことだろうと様子を見ることにした。とはいえ、ゲームセンターに五時間ぐらいただ画面を見ている様子は異常であり、夫婦はなんとかしたいと考えて、まだ早いと思いながらもゲーム機を買い与えた。今度はゲームをするのではなく、親にゲームをさせて、自分はポリゴン画像を注視するという行動に変化した。まわりのこと気にしないで済むかもしれないが、別に夫婦でゲーム好きでもないのに、格闘ゲームばかりする羽目になった。
 「マナちゃん、たまには外で遊ばないと!」
 「外で遊んでも面白くない。もっとゲームしてよ。」
 夫婦は、いつまでもゲームをすることが苦痛になってきたので、ペンと紙を持ってきて、ゲームの画面を描くように勧めた。ドロー嬢は紙に向かって線を描く。線が繋がると、形になり、それが思うように描けないから、癇癪を出して泣き始めたが、ペンを離すことはなかったし、紙から目を背けることもなかった。まったくの白い紙、何もないところにペンをつけた途端、線が始まる。ペンが動くと線が広がり、何かが生まれる。平面の中に世界が出来上がる。ここがドロー嬢のエキサイトメントだった。手から、線から、自分が世界を作れる。こんなに楽しいことはなかったし、その世界を動かしてみようと思うのは当然だった。紙はそのうちパッドになり、世界は画面の中に作り上げられるようになった。
 小学校に入っても、学校ではノートに絵を描き、家に帰ってそれをパッドに写していくか、ノートを持って出かけて、気になるものをスケッチしていく。そうなると学校には馴染めなかったし、人とも交流は最低限にしか行わなかった。ドロー嬢にとっては絵を描きたいだけで、他のことは意味がないし、スケッチしている間に、ドロー嬢なりに世界のことが解ってしまった。人がたくさんいるから、全部する必要がないし、機械があるから、率先して働く必要もない。やりたいことがない人が、誰かのために働けばいい。やりたいことがある人はそれをすればいい。積極的に学ばなかった学校でも「やりたいことをやって輝きなさい。それでみんなが笑顔になれる。それが大事」と言っていた。あと「誰かの犠牲になるより、笑顔で生きて」とも言っていた。スケッチしていくうちに、全ての仕組みは人が楽するためにあり、だとしたら、楽をして好きなようにしないと、これまで世界を豊かにしてくれた人に背くことになる。そのことを十歳の頃に理解して親に説明しようとしたが、親は笑顔でまごつくだけで理解できなかった。おそらく今の大人で理解できる人は少ない。
 絵を描き続けて何処に辿り着くのか中学校に上がる頃に考えた。が、辿り着く場所は思いつかなかった。しかし、認められたいという承認欲求は出てきた。自分が描いた価値を理解できる人間に認められたい。そういったことを意識し始めると、対象が不思議と浮かび出てくる。チェコスロバキアの前衛映像作家、ヤン マイヤーの「飛ぶものと、変化」という作品を美術館で見ることになる。鳥のようなものが飛びながら、鳥でないものに変化しつつ、飛び続けて、最後は見たことがない、見たくない生き物に変化していく。誰しもが目を背けるような非常に不快な、見たことがない生き物。しかし、それは本当にいるように感じられる。何か、未知の世界を見せられたようで、非常に衝撃を受けた。ああいった、誰も作れないものを書いてみたい。
 ドロー嬢の積年の思いが伝わったのか、彼女のアニメの視聴者数が世界的になったからか、そのヤンから動画にコメントが寄せられた。
 「もっと、こっちに来なさい。世界が変わり続けるように、あなたも変わり続けてください。つまり、アメリカの飲み物と一緒に帰るように。」
 ドロー嬢はヤンからのコメントに感激したが、同時に、非常に困惑した。
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