赤ら顔のじいさん(2023.5②)

文字数 1,304文字

どうだい、悲しいか?

赤ら顔のじいさんは
僕の隣に座った

朝、昼、晩の
食事にビールを欠かさず
アルコール中毒なのだと
みんなから言われている

僕の目の前には
母の遺体が横たわっているのだ
悲しいに決まっている

酔っ払いは嫌だな
さっさと消えて欲しいと思いつつ
何度聞いても関係性は理解できないのだが
じいさんは遠い親戚で
近所の長老でもあるから
ぞんざいに扱うこともできない

オレもさぁ
早くに母親を亡くしたの
早いと言っても
まだ立って歩くこともできない頃だったから
何も憶えていないし
悲しいなんて思いもないけどな
物心ついた時には
継母がいて
良い人だったから
継母が死んだ時は悲しかったな

いつも
我が家に上がり込んでは
大笑いしながら
下世話なことばかり口にするのだが
自身語りを聞くのは初めてだ

こうやって
悲しむことができるんだから
恵まれているよ

優しいのか
冷たいのか
どちらも感じながら
僕は正座して聴く姿勢になる

だけどもさぁ
兄ちゃんが一番悲しい訳じゃないんだぜ
ほら
見てごらんよ
連れ合いに先立たれたお父ちゃんは
兄ちゃんより悲しい

真面目を絵にかいたような父は
忙しく動き回って
弔問客に挨拶したり
葬儀業者と打ち合わせをしている

じっとしていたら
しんどいからなぁ
ああやって動いているんだよ
自分が一番悲しいなんて思っちゃダメだ

酔っ払いのじいさんは
酔っぱらったふりをしているだけで
酔っぱらっていないのかもしれない

ビールなんて水だから

決まり文句が
嘘でもないような気がする

でもさ
一番悲しいのは
お父ちゃんじゃなくて
あの人だろうなぁ

座敷の隅に
母方の祖母がぽつんと
背筋を伸ばして
堂々としている

子より
夫より
親はもっともっと悲しい
いいかい、兄ちゃん
順番だけは守るんだぜ

赤ら顔のまま
真剣な眼差しで睨むので
僕は何度も頷いた

ありがとうございます

深々と頭を下げる
いつもは嫌だなと思っていることも忘れて
すっかりと見直した
さすが長老だ

なんだか偉そうにごめんな
まぁ、オレもそう長くないから
遺言だと思って許してくれ
じゃあな


医者から止められても
毎食のビールを続け
入院と退院を繰り返しながら
赤ら顔のじいさんは
のらりくらりと
あの日からけっこう長く生きた

真面目な話を聞いたのは
あの日が最初で最後だったが

順番だけは守るんだぜ

父も順番を守らなかったから
父方の祖母も悲しんだが
随分と早い段階で
順番の心配をする必要がなくなった僕は
父の年齢まで生きることを
親孝行だと思って生きてきた

母を追うように
亡くなった父の年齢を超え
随分と若くして二人とも逝ったのだと
ようやく実感している

親孝行はできたから
あの人みたいに
好きに生きて
みんなから嫌われるじいさんになりたい

確か、赤ら顔のじいさんが死んだのは
八十半ばだった

あと三十年以上
生きないとたどり着けない

じいさんに
追い付き追い越せだ
じいさんより長生きして
じいさんよりじいさんになってやる

いいかい、兄ちゃん
順番だけは守るんだぜ

三十年前の声が
はっきりと聞こえる

赤ら顔のじいさんの葬式で
その昔、幼い長男を亡くしたことを
初めて知った

案外と
僕は
赤ら顔のじいさんが
好きだったのかもしれない

三食は無理だけど
毎晩、ビールを欠かさず
飲んでいるのだが
直ぐに
顔が赤くなる

やはり
遠くても
血がつながっているらしい
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