一月八日(2024.2③)

文字数 958文字

阿蘇山を背景に笑顔の二人
は結婚したばかりの父と母だ

色褪せた縁ありの写真は
遺品整理の際にアルバムを開いて見つけた

とても良い写真だったので
捨てずに持ち続けている

当時は九州旅行が流行っていたんだ
と思い出話を話していた記憶がうっすらと浮かんで
懐かしく感じたからかもしれない

あれは確か僕が二十歳になった冬で
父が行きつけの鮨屋に初めて連れて行ってくれた時だった

カウンターに並び
生ビールで乾杯してから
日本酒を飲み始めた頃合いだったと思う

急に父が語り始めたのだ
農家を継ごうと思って農業高校へ行ったのに
田畑が減って専業農家では食べていけなくなり
市役所に就職して兼業農家になったこと
見合いに何度も失敗してようやく母と話がまとまったこと
そして九州への新婚旅行など

阿蘇山を二人が訪れた時
僕はまだ存在していない

二人が新婚旅行で喧嘩して別れていたら
僕は誕生することはなかった

そんなこと当たり前なのだけれど
自分の存在が奇跡のように思える

そして
笑顔の二人は
もうこの世にいない

写真を見るたびに
いくつもの人生を
偶然の積み重ねによる運命を
しんしんと感じる

僕は大学生になって
一人暮らしを始めたのだが
二十歳の頃は
一人で生きてきたかのように自由気儘に振る舞い
高卒で市役所勤めの父を
どこか見下していた

冷静に考えてみれば
学費も家賃も父が払ってくれていたのだから
世間知らずの馬鹿息子としか言いようがない

鮨屋も誘われたから仕方ないと
仏頂面して
嫌々ついて行ったのだった

あの日 父は僕に
ひとつも説教することなく
静かに自分について語った

たぶん酔っていたのだと思う
深い意味などなかったのだとも思う
でも あの日の思い出は強く残っている

新婚旅行で九州に行った父に抗うように
僕の新婚旅行は北海道だった

最近になって
阿蘇山に行ってみたいな
と思うようになった

抗うことをやめて
素直になるまで三十年以上もかかったのだから
やはり大馬鹿息子だ

酒が弱いことだけは
しっかりと遺伝しており
今も直ぐに顔が赤くなる

弱いのに
とことん飲んでしまうのもそっくりだ

鮨屋で二人して赤い顔になり
ひどく酔っぱらったあの日が懐かしい

もう
 酒は
  やめます

父も母に
何度となく頭を下げていたっけ

一月八日は父の命日だ
前前年に亡くなった母を追うようにして
二十九年前の今日、父は亡くなった
五十一歳だった

今年の十月で
僕は五十四歳になる
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