第60話 美沙

文字数 2,292文字

 翌日、美沙も休みをもらっていた。
 タクシー二台に荷物を積み、それぞれが乗って「ひがし荘」へ行った。荷物を部屋に運び入れてから、買い物に出た。ホームセンターのキッチン用品売り場。
「これも、あたしからのお祝いにさせて」美沙は、調理用具を手にとってはカートに入れて言う。
「そんな、テーブルとベッドも買ってもらったのに――」
 美沙は引っ越し祝いとして、ダイニングテーブルと組み立て式ベッドを買っていた。今日の午後配達されるはずだ。「こんな大げさなもの要らないよ。簡単なものしか作らないし、コンビニの弁当で済ますことの方が多いと思うよ。薬缶と鍋とおたまがあれば間に合うよ」
「まあ、任せて」
 美沙はかまわず今度は食器を選ぶ。大中小のお皿セット。ペアの茶碗、コーヒーカップ。
「そんなにどうするの? ぼくはどんぶり一つで間に合うよ。これ、高そう。うわ、高い。要らないって」
「お祝いというより、あたしになの。これらは!」
 美沙はくどくど言っている歩夢に向き合った。「あたしが料理を造るときと、食べるとき、使いたいんです!」
 たまに美味しい料理を造ってあげるんだ。なんか、新たな楽しみが出来たな。歩夢が別に暮らしたい理由が判った気がした。
 ふと、そのやりとりを誰かに観られている感じがした。視線の元に首を向けると、隣の陳列棚の横に彼女はいた。
「さきえ!」思わず叫んだ。
 カートを置いて駆け寄った「咲江、久しぶりー、どうしてた?」
「元気よ。美沙は相変わらずね。ぜんぜん変わってないじゃない」笑顔に変わった。
「ね、いつ仙台に戻ってきたの?」
「それよりあの人、高橋さんっていったっけ、つき合っているんだ」目で歩夢を指した。
 言われて美沙は去年のことを思い出した。咲江が歩夢を遊びの相手にしようとしたのを妨げたことを。結果的に横取り(・・・)したと思っている。でも咲江は本気に好きになったわけでないし、今更どうのこうのもないだろう。むしろあたしとの再会を嬉しそうにしている。
 美沙は歩夢を呼んだ。
「高橋さん、覚えている? 山下咲江さん。去年まで人事課にいた」
 咲江の前で歩夢と呼ぶのがなんとなく都合悪くて名字を言った。歩夢は驚いた顔で美沙を見、そして咲江に視線を移した。
「覚えていますよ。その節はお世話になりました」
 歩夢の言葉に、
「美沙、そんな呼び方しているの? なに気取っているのよ」
「はい、名前で呼んでいます」
「一緒に住んでるんでしょ。もう、一年以上よね」
「いや……、別々に住むことにしたの。別に喧嘩した訳でないのよ。でも、二人で食事することもあるし。歩夢の部屋にあれば便利だし」
 美沙の歯切れは悪い。
「そう」と咲江は言って歩夢の方を向いた。「高橋さん、お仕事しているんでしょう」
「ええ、文盛堂って本屋さんです」
「ああ、知っている。いくつか店があるわね」
「青葉城店です」
「咲江、時間があればお茶でも飲みたいのだけど、午後ちょっと用事があるの。今度ゆっくりお話ししましょう。今どこに住んでいるの」
 歩夢と咲江の話に、美沙は割って入った。
「友だちのところにいるの。仙台には長くいないのよ」
「えー、そんな」
「忙しいようだし、あたしも用事があるからもう帰るわね。楽しかった」
「え、え、それじゃ、携帯の番号おしえて」
「残念だけどそれも無いの」
 二人とも元気でね、と言って咲江は踵をかえした。
 あっけない展開に美沙は応ずる言葉もなく見送った。

 二人で商品を抱え「ひがし荘」に帰って昼食の弁当を食べ、荷をほどき、家具類の配達を受けた。
「そのテーブル、机にもいいでしょう」
 流し台周りに調理器具を整理している美沙は、歩夢に言う。
「うん、頑丈そうでいいね」
 歩夢はそのダイニングテーブル拭いている。
「歩夢、オーブントースター活用してね。朝はパン一枚でも食べて」
「うん、分った」
 歩夢は応える。そして今度はベッドを組み立てる。
「やっぱり食器戸棚があればいいな」と美沙の大きな声。
「要らないって。大丈夫だって」
「そうかなー」
 作業は終了した。
「ああ、きれいに片付いた。助かったよ」と歩夢。
「意外と早く終わったわ」美沙はダイニングテーブルの椅子に座った。「今日からここが歩夢の城ね」
「いろいろありがとう。コーヒーでも出したいんだけど、まだ何も無いんだ」
「お水でいいわ」
 二人は向かい合って座る。
「歩夢、一人暮らしは何かに仕事があるわよ」
「ぼくは前にも一人暮らししてたんだよ」
「あー、そうだったわね。料理は何が得意なの」
「ゆでたまご」
「なにそれ」
 とりとめのない話をする。
「さて、もう、帰るわね」美沙は立ち上がる。「小説も書かないといけないでしょうし」
「そうか」歩夢も立ってドアまで送る。「それじゃ気を付けて」と右手を軽く美沙の肩に置く。
 すると美沙は、いきなり歩夢の首に腕をまわして、唇を求めた。
「え、?」歩夢は少し驚いたようだが、応じてくれた。
 長いくちづけから離れると、
「あたしたち、恋人だから」言って、美沙は顔が赤くなるのが判った。

 翌日出勤すると意外なことが待っていた。
 山田課長から、来月から企画広報課へ異動になると伝えられた。
 ホテル・セントラルフォレストでは、七月一日付にも小規模な人事異動がある。
 もちろん私は反対したわ。「小関さんは経理課になくてはならない人です。次長もご存じでしょう!」とね。三浦次長も反対はしたようだけど、中森部長が石原部長に是非にと頼んだんだって。
 経理課になくてはならない人なのは解るが、ホテルにとっても貴重な人材なんだ。大きく育てよう、と言われたの。
 美沙は山田課長の話しをぼーっと聞いていた。
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