第13話 美沙

文字数 2,483文字

 震災から十日経った。もうすでに電気などのライフラインは復旧していた。社員は再開に向けて一丸となって働いている。ホテル内が片付いていく。
 建物が大きく損傷していないとはいえ、修理及び設備、備品の更新に多額の資金が必要だ。T興業本部はかなりの資金を出す。
 支援に当たって本部の指示は、徹底して経費削減に努めること。
 その一つとして非正規――パート社員を解雇することになった。その解雇する者のリストが作られた。
「ねえ、ショック」
 昼食中に咲江が話しかけてきた。社員食堂では今料理は提供していない。各自持ってきた弁当を食べる。再開してもそれが続くはずだ。
「パートさんだけじゃないの。試用期間中の高橋くんも採用取り消しだって」
 美沙は耳を疑った。「試用期間って業務遂行能力があるかを見る期間でしょう。高橋くん、能力なかったの?」
 そんなことはないと思った。違うでしょ、と言った。
「そうなんだけど、解雇。まだ正式採用でないからでしょう」
 この案件は社長も細かく観ているとのこと。四月から採用予定者の内定も取り消す。それと同じ考え方だ。
 美沙は、先日聞いた歩夢の身の上話を思い出した。不運の中でも頑張ってきた。望みを絶たれ、打ちひしがれた。でも、ここで立ち直ろうとしている高橋歩。それをまた、叩きのめすようなことを、私たちが、するなんて。
 そんな美沙の心を気づきもせず、咲江は恐ろしいことを言った。
「辞めちゃう前に、お持ち帰りしちゃおうかな」ペロリと舌を出した。なんか可哀そうだしと言う。
 美沙はざわっとした。明け透けな性格とはいえこんなことをよく言う。
「木立さんが嫌になったの?」
「いえ、好きよ。でも今倦怠期かな」
 なにこれ、二股? 同情なんかじゃない、遊びの相手に考えている。これ以上、彼の傷を深くしてはいけない。
 二十分後――。美沙は自分でも驚く行動をしていた。ホテル内を探し回って『ラ・メール』の窓ガラスを拭いている高橋を見つけた。
「この前はありがとう。で、またお願いがあるの」
 照明器具を取り付けてほしいと頼んだ。

 退社後一緒にアパートへ行った。取り付けは簡単に済んだ。
 さて、この後どうすればいいんだ。咲江に遊ばれるのを防ぎたくて呼んだが、断りなさいと、上手く諭せるか。練っていたわけでない。
「やっぱり天井の照明は明るいな。ありがとう」と礼を言う。そして「高橋さん、ご飯ちゃんと食べている?」
 何を話していいか分からずそんなことを訊く。
「食べていますよ。コンビニの弁当か、カップ麺ですが」
 社食がなくて不便です、と言った。
「食べていかない? 野菜がいっぱいあるの」
 野菜は父親が持ってきたのだ。

 地震の後、やっと繋がった電話で父親は「仙台が元に戻るまで、もう一年も二年もかかるぞ」
 だから、仕事はもう辞めろ、迎えにいくから帰って来いと、言った。
 だが美沙は首を横に振った。
 それでも美沙を案じた父親は二日後、車で仙台に来た。高速道が不通の所は一般道を廻った。ガソリンスタンドでは何十台もの後に並んで補給を繰り返しながらもやって来た。
 着くと美沙の姿を見て半泣きで安堵した。そしてまた「家へ帰らないか」と説得を試みた。
 美沙は、家へ帰りたくても帰れない人たちが、あたしたちのホテルにいるの。あたしを必要としている人がいるのよ。また、営業を再開するため、他の社員も皆頑張っている。帰るわけにはいかない。今、あたしの存在意義はここにあると言った。
 美沙の意思の固さを予期していたのだろう、沢山の野菜や米、食料を持ってきていた。実家は野菜農家だ。父親は農業団体の役員もしている。――そして、S市に戻ると、被災地への供給の業務に追われ、もう美沙の処へ来ることも容易でなくなった。
 直接間接問わず、このときは日本中の誰もが何かをした。

「簡単にできるもので」と美沙は言い、野菜炒めとチャーハンを造った。
「つぎ時間があるときに、約束どおりちゃんとしたお料理を造るね」
 造りながらそう言う美沙の手際に歩夢は見惚(みと)れている。あっという間に出来たのに目を円くした。
「出来たわ、どうぞ」
「はい、いただきます」
 歩夢の食べっぷりがいい。見ていて気持ちいい。造り甲斐がある。
 食べ終えるころ歩夢が訊いてきた。
「パートさんが解雇されるという噂、本当なんですか?」
 もう噂になっているのか。なら……、迷ったが、どうせ知ることになるのだしと思い、本当よ、人事課が作業していると言った。
「その……、パートさんだけでないの」と歩夢を見る。
 そして大きく息を吸うと、咲江から聞いた話をした。
 歩夢は自分の名前が出たので「えっ」と一瞬目が固まった。すぐ表情は戻したが、そうなんだ、と言った。力を落としたのが判る。
「ごめんなさい」美沙はなぜか謝らずにいられない。
「美沙さんが、謝ること、ないですよ」と歩夢は言ったが、やっぱりと呟いて唇を噛んだ。
 希望が絶望に変わり、ここで立ち直ろうとしてきたのに。そんな高橋さんをうちのホテルが切り捨てるのだ。あたしは何も出来ないのか。
 歩夢をこのまま見離してはいけない。小さなことでもいい、何かしよう。
「あの、あたし何かできるかしら?」
「――。え?」
 歩夢は不思議そうに美沙を見る。
「お昼のお弁当作って持っていってあげる」
 こんなことしかできなくて……、助けにならないけど、と言う。目に涙がたまる。
 歩夢は美沙の言葉を、今気が付いたようだ。気も(そぞ)ろになっているのか。
「いや、それは……でも、いいです」歩夢は肯首しない。
「じゃ、晩ご飯を食べに来て」
 仕事が終わった後、毎日来ていいよと言ってから、その仕事も長くないんだと気づいた。
「せめて美味しいものを造ってあげる。造らせて」
「はぁ、そうですか」理解したのか、していないのか判らない返事だ。
 歩夢は混乱していた。この三年間のことが頭の中でぐるぐる回る。何故こんな不運が重なるのだ。気が付くと立ち上がっていた。
「ごちそうさまでした」と言い、歩夢は出て行った。

 ああ、傷つけてしまった。哀れみなんて役に立たない。美沙の頬を涙が伝う。
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