第26話 ホテル・セントラルフォレスト

文字数 1,682文字

 山下咲江は自分を(とが)めていた。逆恨みだと分っていた。高橋くんが自分に振り向いてくれなかったことで美沙を憎んだことだ。純朴そうな男子だったので、ちょっと遊んでみようとしたけど、高橋くんは美沙に気が向いていた。そしてその後、二人が同じアパートに住んでいることを知ったとき、嫉妬と怒りがかけめぐった。美沙に声をかけられても返事さえしなかった。大人気なかったと思う。咲江だって、今は半同棲をしているようなものだ。彼は二日と空けず咲江の部屋に泊まっていく。そのことを思うと、自然と頬がゆるむ。
 美沙への態度は直そう。元々仲が良かった二人だ。
 咲江が柔らかい気持ちになったのは、木立さんがまた構ってくれるようになったからだ。喧嘩した訳でないが、木立さんの気持ちが離れたと思った。思い過ごしのようだった。今は以前のように接してくれている。咲江は身も心も満たされている。現金なもので美沙へのわだかまりが無くなった。
 今度美沙が声をかけてきたら、それをきっかけに元にもどろう。

 美沙は首を傾げた。先々月に続いて先月もだ。フレンチレストラン『ル・シエル』の食材率が随分高い。
 ホテル・セントラルフォレストでは、毎月作成する経営指標がいくつかある。材料費率もその一つだ。ホテル全体とレストランごとも作成する。仕入原価を売上高で割ったものだ。材料は月末で使い切ることはないので、原価は前月からと、翌月への在庫の繰り越しをそれぞれ加減して出す。
 それの食材率が『ル・シエル』だけが高い。昨年度に比べて、ある程度高いのは、分母である売上げが少ないから理解できる。だが、『ラ・メール』、『欅』、『四川』と他のレストランと比べても高い。どこかでミスをしているのではないか。そうだとしたら、山田さんが辞めた今、責められるのは美沙だ。幸い震災後はまだ課長会議は行われていないので、先月の経営指標は経理課長止まりだ。会議までに十日ある。それまでにミスを見つけよう。
 翌日はまず、納品伝票や棚卸表などを調べ直した。再計算する。間違いはなかった。ま、当然だ。
 次に業者ごとに仕分けた納品伝票をチェックしていく。
 ん? 一定の業者が、枚数にしては金額が多い。『木村ビーフ』と『大泉海産』。品名を見る。ああ、米沢牛か。それと鮑や貝柱。米沢牛は高級和牛だし、鮑も貝柱も高価な食材だ。金額が多い訳だ。棚卸表はどうか。あれ? 在庫はそんなに繰り越していない。ということは分子が多くなるから比率が上がる。
 待てよ? この業者の昨年同月のも見る。え? 仕入額は米沢牛も鮑も、今年の方が多い。売上げは少ないのに……。特にディナーは昨年の半分もないのに?
 気になったが、このことだけをやっている訳にいかない。
 次の日は他の仕事を早くかたづけて、『ル・シエル』の売上伝票を調べた。どの食材が何のメニューに使われるかまでは詳しくはないが、米沢牛は判る。ほとんどステーキだろう。それに有名ブランドなので、米沢牛と冠をつけて販売している。鮑もメニュー名に載せている。急いで電卓を叩く。数値を見てごくりとつばを飲み込んだ。
 なんということだ。仕入額と販売額がほぼ同じ。仕入の方が少し多いくらいだ。食材の原価率は三〇%くらい。こうなることは絶対と言っていいくらいない。何かある。
 心臓が早鐘のように打ってきた。落ち着いて、考えろ。大きく息を吸う。
 どういうことが想定されるか? 考えるまでもない。誰かが、食材を持ち出している。高額な食材を……。不正を働いている人がいる。

 社長は受話器を置いた。
 課長会議に本部の社員も出席させると言う。今まで無いことだ。例年は、上期と年度末決算の二回、本部に行って説明するだけで済んでいた。今回は、多額の支援をしたので、細かな経営状況を知りたいらしい。
 四月と五月の月次決算を出して見る。若干赤字だがこのご時世ならまあまあだな、と落ち着きを取り戻す。
 さっき置いた受話器を取ると、支配人の番号をダイヤルした。
「来週の会議資料は、見栄えよく、きちんと作っておくよう、各課に指示してくれ。本部も来るそうだ」
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