第25話 美沙

文字数 1,690文字

 美沙は一人で食事をとっている。山田さんは辞めたし、咲江とも一緒にとらなくなった。咲江はよそよそしい。美沙を避けている。理由は判る。歩夢と暮らしていることを知ったからだ。咲江は、歩夢に関心を持っていた。いや、誘おうとした。それを美沙に横取りされたと思っている。横取りも何も歩夢は咲江の彼氏でないし、まして木立さんという恋人がいるのだから。憎むのはお門違いというものだ。
 ――だが、もし咲江に木立さんがいなかったら、あたしどうしただろう。美沙は歩夢とこうなっただろうか。諦められた?
 お喋り相手がいないのであらぬことを考えている。と、
「ここ、座っていい?」と言う声が聞こえた。『ラ・メール』の三橋さんだ。返事をする前に美沙の向かいに座る。「社員食堂混まなくなったわね」と言ってコンビニの弁当を広げる。パート社員がいなくなったのと、外へ食べに出る社員が増えたからだ。ホテルの社員が外の食堂で昼食を取るのを、世間的にはどう見えるのだろう?
「あなたやるわね。噂聞いたわよ」
 レストランでの社用の事を言っている。「辻村女史、この前は親戚を連れてきて社用サインしたのよ。何の接待なんだか。うちの店長も怒って、課長会議でどんな接待なのか問い詰めてみるか、と言っていたところなの。成田課長が言うならそれでいいけど。どちらが言うにしろこのことは追及するべきね」
『ラ・メール』のパート社員も解雇された。レストラン部門は特にパート社員が多かった。今は客数が少ないのと、宴会サービス課から人員を廻しているので業務には支障がないとのことだが、共に働いていた同僚なので、より理不尽さを感じているのだろう。
 そうか、『ラ・メール』の店長も疑問に思っているのか。美沙は店長が課長会議で言うのだったら、何もしなければよかったと思った。
 もっと早くに誰かが言うべきだった…のよ…ね、と言おうとして首をドアの外へ向けた。その通路を歩いている人物と目が合った。言葉を途中で飲み込む。恐らく、うろたえた表情になっているのだろう。
 どうしたの? 三橋さんはいぶかしい顔をする。
 カツカツカツと靴音と共にその人物がこちらに来る。
「ちょっとアナタ。小関さん」甲高い声がした。
 辻村課長だ。美沙の横に立って見下ろす。
「アナタ、私が社用で食事をするのがけしからんと言っているそうね。それを会議で成田課長に言わせようとしているんだって?」
「え、辻村課長のことだけでなく、支配人や……」
 最後まで言わせない。「文句があるなら私に直接言えばいいじゃないのっ。事情も何も分からないくせに、こそこそ立ち回って。私はアナタと違うのよ。私はね、長い目で見て大きな収益になることを考えてやっているのだから。昼食くらい、原価にしてみれば大したことないのよ」
 早口でまくし立てる。
「だから、そういうことを会議の席で説明を……」
「アナタは回ってきた伝票を処理していればいいのっ。こんなことに口出しするなんて十年早いわよ。何様のつもり」
 辻村課長は、美沙に話す隙を与えない。三橋さんは手で辻村女史から顔を隠して、呆れたように顔をしかめている。女史の剣幕に、美沙は小さくなっているしかなかった。
「あのねっ、上層部はアナタが知らないような仕事をしているのよ。会議でその話が出たら、社長にはっきり言ってもらうわ(・・・・)。成田課長も何やってんだか」と、言って戻りかけた。思いついたように睨む相手を替え、「三橋さん、アナタ接客態度悪いわよ。伝票にサインを貰うときは相手が私でも――社員でも、丁寧に頭を下げなさい。上役にあの態度はないでしょ。査定ものよ。接待相手がいたから何も言わなかったけど。一度や二度でなかったの、覚えてる」
 二人とも自分の立場をわきまえなさいよ、と言って靴音高く去って行った。
 社長に言ってもらうわ、だって? 自分こそ何様のつもり。それにしてもあの言い方はないわ、平社員は何も言うなってこと? 美沙は、ぐつぐつと腹立たしさが沸いてきた。
「お~、怖かった。すごい人だわね。成田課長、迫力で負けるわね」三橋さんは、ほーっとため息をついた。「店長もどうかだわ」
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