第7話 歩夢

文字数 994文字

 年が替わった。歩夢は運送会社でのアルバイトを続けた。あれ以来、工藤はよく話しかけてくる。居酒屋でご馳走になったこともあった。酒を持って歩夢の部屋へも来た。何故か親しみを持たれているようだ。
 ある日、ライブやるから観に来いと言われ、行ってみた。
「ほんとは、チケット五千円なんだけど特別にタダにしてやる」と言った。
 小さいライブハウスだった。バンドは四人グループで、工藤はギターとボーカルを担当していた。ただ叫んでいるようにしか聴こえない。怒りをぶつけているような演奏だった。観客はさほど多くなかった。若い人もいるが、三十代くらいの人が多かった。歩夢はまったく面白いと思わなかった。それ以降は誘われても行くことはなかった。工藤も無理強いはしない。

 歩夢たちが聞かされたのは、それが実施される二ヶ月前だった。運送会社の作業場を埼玉へ移転する話だ。社員とそちらに通勤できる非正規はそのまま雇用するという。自転車では通えない歩夢は辞めることにした。工藤も辞めた。「おれはこんな仕事をしている人間じゃないんじゃ」と怒っていた。
 次の仕事を探さなければいけない。歩夢は大学へ行ってみた。学生課の掲示板にアルバイト情報が貼ってあるからだ。休学中でも見るのは構わないはずだ。
 学内を歩いていると他の学生の活気を感じる。文芸サークルに顔を出してみようかと思ったが、止めた。よけい自分がみじめになる気がしたのだ。深田さんのことが心をよぎった。復学するころは彼女もう卒業しているのか。「深田さん――」と、呟いてみた。
 掲示板にはホテルの洗い場――食器洗浄業務の求人があった。歩夢も名前を知っているZALホテルだ。「食事付き」「社員用シャワーあり」の文言が目に入った。そこを受けてみよう。
 面接で歩夢は、現在学費を貯めるために休学中であること、自分の境遇などを正直に話した。面接をしてくれたスチュワード長の三田さんは、同情というより歩夢の意志に感心したようだ。採用になった。さらに、希望した長い時間の勤務もできるかぎり応えると言ってくれた。
 スチュワードとは、ホテルで食器を管理する業務だ。食器を分類して収納し、調理部が必要なものを出してやる。地味だが重要な仕事だと歩夢は聞いた。だが、洗い場は末端。ひたすら食器を洗う。自動洗浄機扱いは湯気の中での仕事だ。冬でも暑い。夏は尚更だ。歩夢は汗を流す。復学するために。
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