第35話 美沙

文字数 1,660文字

 美沙は今日から四日間、実家に帰る。高校時代の友人の結婚式に招かれたのだ。歩夢と暮らしてから初めて留守にする。
「四日、すぐ過ぎるよ」
 この間に小説を書き上げるよ、と歩夢は言う。
 一緒に住んでから、一編書き上げていた。それはパソコンで読ませてもらった。他にもう一編書いている。そうか、一人の方が(はかど)るのか。
 美沙は少し離れ難い思いにかられた。
 この間に歩夢が何処かへ行ってしまうのでないか?
 そんなことある訳ないのに。美沙は自分の心配症に苦笑した。
 いいわよ、と言ったけれど駅まで送ってきた。入場券を買ってホームにもついてきた。
「行ってきます」と言って電車に乗り込む。窓側の席に座って窓を開ける。歩夢は寂しくなったのかな? しんみりした顔をしている、ように見える。
 あたしも同じような顔をしているだろう。こんなに気持ちになるのだったら送ってもらわなかった方が良かった。駅での別れはドラマのようで、なんか悲しくなる。古い映画の場面が浮かんできた。
 発車までの数分間、何を話していいのか思いつかない。大切なことがある気がするが。
「冷蔵庫の卵は右の方から使ってね。それと大きなペットボトルは中身が出汁だから、お茶と間違って飲まないでね」
 うんうん。分っているよ。歩夢は笑っている。
「それより、飲みすぎないで。美沙はお酒に弱いんだから」
「歩夢こそ、ちゃんと三食食べてね」
 発車メロディーが鳴った。
「心配ないって。お父さんとお母さんにいっぱい甘えてきて」
 発車メロディーは鳴っている。
 歩夢の口の動きが止まった。
 電車が動き出した。歩夢は真剣な目をした。そして、言った。
「美沙……、好きだよ」
 一瞬何と言ったのか理解出来なかった。いや、出来たけれど、思ってもいなかったことなので頭が空になった。
「ええはい、どうもね」
 わ! 何という返事をしたんだ。電車は離れていく……。
 何か言え。早く。
「あたしもー」
 どうにか返せた。 
 ああ、今までこの言葉が足りなかったのだ。
 やっと言ってくれた。美沙は幸せに浸った。
 ――美沙、好きだよ――。心の中で反復した。

 高揚した気分のままで実家に着いた。
 夕食のとき、父親はやはり訊いてきた。
「真由美さんも結婚するんだべ。美沙にはまだいい人出来ねんだか?」
 真由美は明後日結婚式を挙げる友人だ。
 今までなら、いないとかまだ早いよ、と応えていたが今回はつい言ってしまった。
「いるかもね!」
 おぉ、と身を乗り出してきた。
「男か? それは」
「おとーさん、何言ってんのよ」美沙は笑ってしまった。
 父親は当てにしていない返事がきたので、自分の頓珍漢な言葉に気が付かない。真面目な顔で問い続ける。
「仙台の人? 長男か? 何してる人だ?」
「そう一度に訊かないでよ」
 あー、歩夢は無職だ。話さなければ良かったかなとも思った。でも、歩夢のことを誰かに話したくてたまらなくなっていた。
「まず、一つ目。今仙台にいる人」
「うんうん。ん、今?」
「二つ目。長男よ」
「んー、長男か」
 がっかりした様子だ。父親はできれば美沙をここS市に住まわせたいと考えているのだ。
「でも、家には帰らないんだって。いろいろ事情があって……」
 詳しいことまで話さない。また聴かれなかった。
「そうか! 家を継がないのか」
「三つ目。今は無職。仕事を探しているの」
 父親は引くだろうな、と美沙は思った。
「震災で仕事を失ったの」歩夢をフォローする
「無職……」
「真面目な人なのよ」さらにフォローする。
「そうか。美沙の目なら間違いないだろう。いいじゃないか。わしが仕事を探してやる。こっちさ来い……。二人して」
 そう言うと父親は、「うん、いいんでないかい」と一人悦に入っている。
「知り合ってまだ三ヶ月よ、そこまでは……」に続けて、
 考えていないわ、と言おうとした。
 父親は聴こえなかったのか、あえて聴こえないふりをしているのか、「どんな仕事が向いているんだ? 農機具関係なんてどうだ」と言っている。
 勝手に話を発展させる父親に美沙は飽きれた。でも否定はしなかった。
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