第51話 歩夢

文字数 2,008文字

 二日後。
 吉永さんはホテル・セントラルフォレストのロビーで待っていた。
 電話で場所を指定されたとき歩夢は、そこでか、と思った。もし美沙と会ったら、美沙をどう紹介しようか、など考えた。
 薄いベージュのジャケット――。聞いていた服装の女性はすぐ見つかった。パンツスーツの吉永さんは、足が長くスタイルがいい。聡明そうで整った顔立ち。想像したとおりだ。メガネをかけていること以外は。年齢は推し測れない。三十代くらいかな? 若く見えているとすれば四十代かも。
 ――歩夢は人を観察するようになっていた。
「お昼まだでしょう。和食、洋食、どっちがいい?」挨拶が済むと、吉永さんは言った。
 いきなり問われ、返答出来ないでいると「大丈夫、会社の経費だから。美味しいものを食べましょう」ふわりと安心を与える笑顔を見せた。
「えーと、洋食がいいです」
 吉永さんは遠慮をさせないいい雰囲気を持っている。堅苦しくなく話しやすそうな人だなと、歩夢は思った。
『ラ・メール』へ歩きながら歩夢は、去年の三月までこのホテルで働いていたとおしえた。
「あら、何年いたの」
「いや、そんな長くはないです。一月から三ヶ月間だけです。試用期間だったので、震災による経営上の理由で解雇になりました」
「それは……、悔しかったでしょう」
「でも、いい人たちにめぐり会えました。文盛堂に就職できたのも、続けて小説を書けたのも、その人たちのおかげです」
 自然にこの応えが出た。実際悪い感情を持っている人は少ない。中森次長には好意も持っている。美沙とのことも浮かんだ。美沙と会わなければ今頃どうなっていただろう。ずーっと忘れていたことを思い出した。
 吉永さんは歩夢の境遇にも興味が湧いようだ。「ホテルの前はなにしていたの?」案内されたテーブルに着くと訊いてきた。
 食事を摂る間、歩夢はこれまでのことを話した。美沙とのことは省いて。
「ふうーん、苦労したのね」
 何かを考えたようだ。
「――さて、今日の話だけど。『ある逃避』のスピンオフを二本書いて欲しいという話ね」
 コーヒーがサーブされると、本題に入った。
「私ね、光談社新人賞に応募された『ある逃避』を読んですぐ、これはいい! と思ったの。これは新人賞を取る、と。残念ながら、審査員の中で否定する先生がいて、ああいう結果で終わったけど。名のある先生には勝てないの。それならば、と次に考えたのが、邑山憲一先生の賞。
 後で高橋さんに送ってもらった作品も幾つか読んだら、鋭い文章だったり緩かったりと作品によって変えているし、情景描写も上手い。高橋さんは、構成や背景を一緒に考えるなどサポートしてあげれば、いい作品を書ける」
 そこまで言ってから、今気が付いたように、コーヒーに砂糖とミルクを入れた。
「それと先月号への感想文――、これだけ反響があれば編集者としては動きたくなるわよ」
 にこりと笑った。「『もう一歩の三人』に書いてもおうという私の提案、すぐ採用されたのよ。リスクも少ないしね」
 三人のうち本命は歩夢だ。あとの二人は保険だと考えている、私の本心はね。そう言うと吉永さんは、にやりと笑った。
 ん、俗っぽいところもあるんだ。
「邑山先生はね――」話は続く。
 若い頃から小説を書いていたけれど、日が当たらなかった。何度も新人賞に応募するもいつも選外。デパート店員の仕事をしていたので時間をやりくりして書いては、出版社に持参した。後で読むからと言う編集者が多い中、もう一歩だよ、と言ってくれる編集者もいた。嘘かもしれないがそれが励みになって書くのを止めなかった。やっと認められたのが五十代。新聞社主催の文学賞で大賞を取ったのがきっかけだった。
 それから、十五年間で芥川賞候補が三回。七年前には受賞もした。今は、流行作家ではないが根強いファンを持っている。
 その邑山が、かつての自分のような人に機会を多く与えようと、文芸誌を発行している出版社を巻き込んで三年前に立ち上げたのが邑山憲一文学賞新人賞。応募資格は出版社が推薦するまだ世に出ていない新人。一社からの推薦は三点まで。一人三点でも、三人三点でもそれ以内なら可。この賞はまだ認知度は低いが編集者の力量も問われるから、出版社もおろそかに出来ない賞になってきている。今回は主要な出版社から推薦があるはずだ。
 邑山は自身で財団を作った。財団はその維持費や審査員への謝礼、会場借り上げ料などを負担する。出版社は推薦者が入賞すると自社で出版出来る。応募者は作品が掲載されるのと原稿料が入る。デビューの道も開ける。
「いい仕組みだよね。あ、邑山先生はまだ生きているのよ。知っていると思うけど」
 それでね、と吉永さんは言ってから、「あなたは二点とも推薦されるつもりで書いてね。もちろん作品の出来次第だけど。一応三人での競争になるの……。大丈夫。私が全面的にサポートするから」
 高橋さんから、あなたになった。
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