第5話 歩夢
文字数 2,013文字
大学の授業に支障をきたすほど働いた。
事務局に前期授業料の納付を待ってくれるよう頼んだ。意外とあっさり、半年くらいならと許してくれた。
コンビニのアルバイトは深夜帯も引き受けた。休みの日は、工事現場の臨時雇いも経験した。これは体が音を上げてしまった。睡眠不足で授業中居眠りするのはいい方で、大学に行けないほど疲れが残ることもあった。それでもなんとか貯めて前期の授業料を納めることが出来た。夏休みが終わった九月だった。
でもその後がもたない。後期分が、納期の十月までに納められない。今度も待ってくれるように頼んでみようか。いや黙っていても二三ヶ月なら、猶予してくれるだろう。学校を休んで働こう。コンビニを辞めて、時給のいい運送会社での荷物仕分けのアルバイトにした。
授業に出れない。何のために働いているのか、と疑問に思うことを忘れてしまっている。
「おまえ真面目やな」声をかけられた。中休みのひと時。
以前からここで働いている工藤という歩夢より二三歳上の男だ。いつも何か不満そうな顔をしている。「そんな一生懸命やっても時給上がらんぞ。逆に……」
早く終わればその分給料少なくなるやろが、と缶コーヒーをぐびりと飲んだ。
ま、確かにそうだ。歩夢は思った。
「普通にやっても回るんや、ここのシステム。間に合わなくなったら、もっとアルバイトを雇うやろし。それとも正社員にでもなりたいんか?」
「いえ、まだ学生ですから……。一応」
「ほお~、そうか。でも二ヶ月以上学校に行っていないやろ」
「いえ、はい、お金が必要なんです」
「そうか、大変やな」と言って空になった缶をぎゅっと潰した。「だがな、学生は学校に行ってナンボや」
正論だ。この人、だらだらしているように見えるけどいい人なんだ、と思った。
「それと、仕事は力を抜いて、何か楽しみ見つけんと」
どうだ、一度おれのライブ観にこんか? と言って工藤はギターを弾く仕草をした。
楽しみか。ぼくの楽しみは学校に行くことだ。そう、もう三ヶ月も行っていない。言われたとおり、学生は学校に行ってナンボだ。行きたい。
ぼくは何をやっていたんだ。――こういうのを何て言うんだっけ。そうだ本末転倒だ。
金を貯めるという強迫観念に囚われていたんだ。授業料のことは事務局に相談してみよう。
だが、甘かった。
大学に行き、納期を延ばしてくれるよう、事務局に頼んだ。まず督促を二ヶ月も無視したことを咎められた。事情を話すと同情はしてくれたが、前期納付が半年遅れたこともあり、気の毒だがそれは出来ない、と言われた。でもいろいろ考えてくれた。奨学金制度、は対象にならない。保証人になってくれる人がいない。父親は行方不明、母親は、実家の老いた母――歩夢の祖母の元へ身を寄せ、気力も何も失っているようだと、たまに交わす妹とのメールで知っていた。妹も祖母の地の高校へ転校した。
事務局が提案したことは、休学だ。一年か二年休学してその間に、学費を貯める。
歩夢はその案に乗ることにした。
帰り、構内を歩いていると、
「おおぃ、高橋」と後から声をかけられた。
歩夢と同期、去年同じ文芸サークルに入った、比較的仲のよかった金沢だ。「ずいぶん見てないけど、どうしてた?」と、追いついてきた。病気でもしていたのか? と歩夢の前に廻って言う。
「いや、病気でない。けど休んでいた」
大学での少ない友人だ。会えたことが嬉しい。「ちょっと家でアクシデントがあって、バイトに専念していたんだ」
「ふーん、そうなんだ」
どんなアクシデントなのかを言うのを待っていたようだが、歩夢が何も言わないので「サークルの奴ら、高橋くんどうしたの? っておれに訊くんだ」と続けた。
何も言わず来なくなったんだから、おれに訊かれても、と応えるしかなかったよ、と言う。
「わるいな。機会をみてゆっくり話すよ。もしかしたら、小説の題材になるようなことなんだ」
とっさに出た言葉だったが言ってから歩夢は、本当にそうかもしれないと思った。
「おう、面白そうだな。ぜひ聞かせてくれ」
サークルで歩夢は昨年短い小説を二つ披露した。「ま、これからだな」が、大方の評だった。歩夢は既刊本の感想を語り合うのが好きだった。本は結構読んでいる方だと思っていたが、さらに多くを読んでいる人が何人もいることにも驚いた。
「あ~、深田さん心配していたよ。親しかったもんな」金沢が言う。
深田京さんは二期先輩。歩夢は密かに、文芸サークルのマドンナと呼んでいた。近代文学のことをよく語ってくる。特に太宰治を語りだすと熱が入る。それまで歩夢は太宰を読んだことがなかったが、深田さんと話がしたくて、何冊か読んだ。
楽しかったサークルのことを思い出す。
「これからはまた顔を出すんだろう」と言う金沢に、まだ当分行けないかも、と応えて別れた。憧れていた深田さんことが蘇ってきた。
――深田さんに会いたいな。また話をしたいな。
事務局に前期授業料の納付を待ってくれるよう頼んだ。意外とあっさり、半年くらいならと許してくれた。
コンビニのアルバイトは深夜帯も引き受けた。休みの日は、工事現場の臨時雇いも経験した。これは体が音を上げてしまった。睡眠不足で授業中居眠りするのはいい方で、大学に行けないほど疲れが残ることもあった。それでもなんとか貯めて前期の授業料を納めることが出来た。夏休みが終わった九月だった。
でもその後がもたない。後期分が、納期の十月までに納められない。今度も待ってくれるように頼んでみようか。いや黙っていても二三ヶ月なら、猶予してくれるだろう。学校を休んで働こう。コンビニを辞めて、時給のいい運送会社での荷物仕分けのアルバイトにした。
授業に出れない。何のために働いているのか、と疑問に思うことを忘れてしまっている。
「おまえ真面目やな」声をかけられた。中休みのひと時。
以前からここで働いている工藤という歩夢より二三歳上の男だ。いつも何か不満そうな顔をしている。「そんな一生懸命やっても時給上がらんぞ。逆に……」
早く終わればその分給料少なくなるやろが、と缶コーヒーをぐびりと飲んだ。
ま、確かにそうだ。歩夢は思った。
「普通にやっても回るんや、ここのシステム。間に合わなくなったら、もっとアルバイトを雇うやろし。それとも正社員にでもなりたいんか?」
「いえ、まだ学生ですから……。一応」
「ほお~、そうか。でも二ヶ月以上学校に行っていないやろ」
「いえ、はい、お金が必要なんです」
「そうか、大変やな」と言って空になった缶をぎゅっと潰した。「だがな、学生は学校に行ってナンボや」
正論だ。この人、だらだらしているように見えるけどいい人なんだ、と思った。
「それと、仕事は力を抜いて、何か楽しみ見つけんと」
どうだ、一度おれのライブ観にこんか? と言って工藤はギターを弾く仕草をした。
楽しみか。ぼくの楽しみは学校に行くことだ。そう、もう三ヶ月も行っていない。言われたとおり、学生は学校に行ってナンボだ。行きたい。
ぼくは何をやっていたんだ。――こういうのを何て言うんだっけ。そうだ本末転倒だ。
金を貯めるという強迫観念に囚われていたんだ。授業料のことは事務局に相談してみよう。
だが、甘かった。
大学に行き、納期を延ばしてくれるよう、事務局に頼んだ。まず督促を二ヶ月も無視したことを咎められた。事情を話すと同情はしてくれたが、前期納付が半年遅れたこともあり、気の毒だがそれは出来ない、と言われた。でもいろいろ考えてくれた。奨学金制度、は対象にならない。保証人になってくれる人がいない。父親は行方不明、母親は、実家の老いた母――歩夢の祖母の元へ身を寄せ、気力も何も失っているようだと、たまに交わす妹とのメールで知っていた。妹も祖母の地の高校へ転校した。
事務局が提案したことは、休学だ。一年か二年休学してその間に、学費を貯める。
歩夢はその案に乗ることにした。
帰り、構内を歩いていると、
「おおぃ、高橋」と後から声をかけられた。
歩夢と同期、去年同じ文芸サークルに入った、比較的仲のよかった金沢だ。「ずいぶん見てないけど、どうしてた?」と、追いついてきた。病気でもしていたのか? と歩夢の前に廻って言う。
「いや、病気でない。けど休んでいた」
大学での少ない友人だ。会えたことが嬉しい。「ちょっと家でアクシデントがあって、バイトに専念していたんだ」
「ふーん、そうなんだ」
どんなアクシデントなのかを言うのを待っていたようだが、歩夢が何も言わないので「サークルの奴ら、高橋くんどうしたの? っておれに訊くんだ」と続けた。
何も言わず来なくなったんだから、おれに訊かれても、と応えるしかなかったよ、と言う。
「わるいな。機会をみてゆっくり話すよ。もしかしたら、小説の題材になるようなことなんだ」
とっさに出た言葉だったが言ってから歩夢は、本当にそうかもしれないと思った。
「おう、面白そうだな。ぜひ聞かせてくれ」
サークルで歩夢は昨年短い小説を二つ披露した。「ま、これからだな」が、大方の評だった。歩夢は既刊本の感想を語り合うのが好きだった。本は結構読んでいる方だと思っていたが、さらに多くを読んでいる人が何人もいることにも驚いた。
「あ~、深田さん心配していたよ。親しかったもんな」金沢が言う。
深田京さんは二期先輩。歩夢は密かに、文芸サークルのマドンナと呼んでいた。近代文学のことをよく語ってくる。特に太宰治を語りだすと熱が入る。それまで歩夢は太宰を読んだことがなかったが、深田さんと話がしたくて、何冊か読んだ。
楽しかったサークルのことを思い出す。
「これからはまた顔を出すんだろう」と言う金沢に、まだ当分行けないかも、と応えて別れた。憧れていた深田さんことが蘇ってきた。
――深田さんに会いたいな。また話をしたいな。